韓国映画『金子文子と朴烈』、“反日作品”が日本でロングランヒットとなった魅力とは?
さて、死刑から無期懲役に減刑した天皇の恩赦さえも拒否し、26年に獄中死を遂げた文子(自殺説・他殺説がある)とは対照的に、その後の朴の生き方には首をかしげたくなるものがある。朴は35年、獄中で転向を表明し、自分は「天皇の赤子」であると宣言する。45年の敗戦で釈放されると、反共を推し進める韓国政府に協力、50年に朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮に連行された。後には、自ら北へ向かったとも言われるように、今度は北朝鮮の上層部で活躍し、74年に71歳で他界、平壌に眠っている。北朝鮮との関わりゆえ、韓国では長年朴烈の存在はタブーだったが、89年に抗日運動の功績が評価されて勲章が与えられ、故郷の土地には記念館も建てられている。時の権力に協力した余生によって本作の朴を批判するつもりはないが、自らを貫き通した文子と、転向を繰り返して生き延びた朴を比較した時に、どうしても文子の存在が際立ってくるのは否めないだろう。
韓国で公開された際も文子は観客に大いに支持されたが、そこにはあくまで「朴烈を慕った日本人の文子」というフィルターが見え隠れしている。だが文子は決して朴の追従者などではない。韓国で製作された一本の反日映画が奇しくも、それまでほとんど無名だった一人の日本人女性の存在とその魅力を、多くの日本人観客に知らしめることとなった。そういう意味では原題は『朴烈』なのに対して、それを『金子文子と朴烈』と変えた邦題の方がしっくりくるのは私だけだろうか。
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。