武井壮「若ければ若い方がいい」発言に考える、エイジズムやルッキズムがなくならない理由
もう一つ、エイジズムやルッキズムがなくらないであろうと私が思う理由は、「エイジズムやルッキズムが正当化される領域が存在する」からである。11月25日放送の『有田哲平と高嶋ちさ子の人生イロイロ超会議』(TBS系)では、独身の男性芸能人を集めて「結婚できない理由」を探るという企画を放送していた。タレント・武井壮は、結婚相手に求めることとして、“若さ”を挙げ、「若ければ若い方いい」と発言していた。武井いわく「生物学的な年齢だけではない」「大人の社会的な常識があって、仕事もよくできる人に叱られるのがダメ」「高嶋(ちさ子)さんみたいな人が一番ダメ」ととどめを刺した。
もし自分の個人的な好みを語る場ではなく、一般的なオフィスで、武井が一緒に働く女性を「若ければ若い方いい」と言ったり、「高嶋さんみたいな人が一番ダメ」と発言したら、これは完全なるセクハラだろう。また同番組の冒頭では、同じく独身男性芸能人である俳優・武田真治が、結婚相手の条件を語る中で「ぽっちゃりが苦手」とし、森三中・大島美幸に「実際にお太りになられている」と発言していたが、これも職場での発言なら、アウトだ。
しかし、プライベートの世界、つまり恋愛や婚活で好みを追求するのはアリだ(男女とも年齢、外見が受け付けない人と恋愛や結婚をしたいと思う人は、ごく稀だろう)。セクハラ撲滅を目指すことに異論はないが、「年齢や外見で人を評価する」ことが完全悪かというと、そうとは言い切れない部分もあるのではないか。
エイジズムやルッキズムというと、男性が自分は攻撃されない安全圏に身を置き、女性にとやかく言うイメージを持つ人もいるだろうが、同性間でも、特にルッキズムは発生しやすいのではないか。女性が「自分の個人的な好み」により、外見で女性を評価することは存在すると私は思っている。
例えば、東日本大震災の際、被災した女性に化粧水や乳液、リップクリームなどの基礎化粧品を差し入れたら喜ばれたという話をニュースで見たが、スキンケアという美容は手洗いや歯磨きと同じような生活習慣の一つと言えるだろう。しかし、美容系の女性誌を見ると、愛用のコスメについて聞かれるのは、女優やモデル、女子アナなどの“キレイ職”の女性ばかりである。これは読み手の女性が、個人的な好みとして、「キレイな人」に憧れを抱いているからではないか。それを汲んだ作り手との間に、「キレイじゃない人が美容を語っても意味がない」という、「キレイな人>そうでもない人」との暗黙の了解も存在しているように感じる。
差別をなくしたい人たちは、よく「自分がされて嫌だったから、後世に伝えない」と被害者として語るが、それだけでは不十分で、同時に「自分もなんとなく下に見てしまう人がいる」「その人を下に見たのはなぜか」という差別の実践者としての自分の意識も明らかにする必要があるだろう。しかし、これはなかなか難しい。またエイジズムやルッキズムと資本主義が組み合わさって賃金が発生していることもあるので、差別をなくすというのは、そう簡単なことではない。