天皇の落とし子とされる「一休さん」、50歳下美女と驚きのセックスライフ!?【日本のアウト皇室史】
――当時の70~80代といえば、現在の90~100歳くらいに相当すると考えられるので、かなりの高齢者。漢詩まで用いて“五感”をフル活用するセックスって、体力・気力をものすごく必要としそう……。
堀江 逆に感心しちゃいますよね~。ただ一休さんは、単に“エロ”かったのではなく、“盲目”の森女に語り聞かせるために書いていたと推察できます。俳優・原田龍二や、お笑いトリオ・東京03の豊本明長のように、性欲が全面に押し出されたLINEのトーク画面のスクリーンショットが世に出回るのとはわけが違う(笑)。一休さんのエッチな漢詩については、ロマンティックというか官能的な感じがしますよね。小説家・瀬戸内寂聴のどの本だったか失念しましたが、とある女性と恋におちた老紳士いわく、「老いらくの恋は、肉体的なセックスをできないからこそ、気持ちが極まる」という一節を読んだことがあります。一休さんのエロティックな漢詩も、それと同じ匂いがするんですよね。
話はそれましたが、現役の僧侶にもかかわらず、“性的”な文章を書いてしまう一休さんは、88歳で亡くなっています。そして、森女のその後はよくわかっていません……。
――一休さんは、森女と官能的な日々を送る以外に、どのような晩年を過ごされたんですか?
堀江 「自由」を愛した一休さんですが、晩年は後土御門天皇から、皇室とゆかりの深い京都・大徳寺を再建、住職になるようお願いされ、断りきれなかったという記録が残っています。それが、なんと80歳の時! 5年かけて寄付金を募り、なんとか大徳寺を再建したものの、その2年後に一休さんは亡くなりました。また、一休さんが亡くなって約10年後。 一休さんを開祖として建てられた京都・真珠庵が再建されました。応仁の乱で燃失していたのを、一休さんを慕う堺の豪商が建て直してくれたのです。また、そこで一休さんの十三回忌、三十三回忌が行われた際、森女と思われる女性が、お布施をしたという記録が残っているんですよ。
――一休さんのことを、本当に慕っていたんですね~。いろいろと“濃い”人生を送ってきた一休さんですが、そんな彼のDNAを受け継ぐ、お子さんはいたんですか?
堀江 御落胤などウワサがつきまとう星の下に生まれた一休さんですが、彼の子孫を“称する”人物はいます。一休さんの庶子で、母親は不明。臨済宗の僧侶になって、法名を紹偵(しょうてい)といいます。一時期、一休さんの弟子だったそうですが、素行が悪い人だったみたい。もしかしたら、天皇も一目置く一休さんの“ビッグネーム”を利用しただけなんて説もあるとか。
それにしても、一休さんの「背景」を知ってしまったら、あのかわいらしいアニメを、二度と純真な気持ちでは見られなくなりますね(笑)。アニメに出てくる「将軍さま」こと足利義満も、実は孫の一休さんのことが気になるあまり、会いに来まくってるのかもしれない!? とか思えてしまって。
ちなみに、一休さんの最期の言葉は「死にたくない」だったとか……。性欲と生命力の強さは比例するんですかね。
――次回は10月19日更新です!
堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
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