隠し子疑惑、流血事件! 天皇と国民的アニメ『一休さん』の接点とは?【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!
“天皇家の策略”と国民的アニメ『一休さん』の深い関係
堀江宏樹(以下、堀江) NHK連続テレビ小説『なつぞら』を見ていると、主人公・なつ(広瀬すず)が夫・坂場和久(中川大志)のことを「いっきゅうさん」って連呼していますよね。その光景を見るたびに、国民的アニメ『一休さん』を思い出す読者も多いのではないでしょうか? いきなりですが、アニメのモデルになったと言われている、「史実」の一休さんって、室町時代のとある天皇の御落胤(父親に認知されない庶子、私生児)だったという有名な仮説をご存じですか?
――堀江さんの著書、『天皇愛』(実業之日本社)でチラッと読んだことがありますが、詳しくは知りません。
堀江 一休さんこと、臨済宗の僧侶・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)(1394~1481)。今回は読者になじみ深い「一休さん」の名前で彼を呼びますが、彼の実父は室町時代の「後小松天皇」だったという仮説があるんです。一休さんの後半生には、すでにこのウワサが世の中にじわじわっと広まっていたようで、一休さんが亡くなって13年目くらいに、公家・東坊城和長(ひがしぼうじょう・かずなが)が、自身の日記『和長卿記』で「秘伝だけど、一休和尚は後小松天皇の私生児だ。でも、世間はこのことを知らない……」といった意味のことを書き記しました。東坊城和長は子孫に伝えようと日記に書いたものの、いつの間にか世間に広まり、朝廷もこのウワサを黙認したのです。現在でも、京都・酬恩庵一休寺にある一休さんの墓所は、宮内庁が管理していますし、墓所には皇族の出身であることを示す「菊の御紋」が付いています。
――それでも、御落胤のウワサが事実かどうかはわからないのでしょうか?
堀江 文献的に見た場合、決定打に欠けていて。その上で、一休さんがいくら有名人だったにせよ、天皇家が“仮説”を半公認のように扱われていることは驚きです。ただ、それには“天皇家の策略”があったと僕は推測していて、「衰退していた天皇家の“カリスマ性”を一休さんの知名度や話題性を借り、復活させようとしたのでは?」と考えています。わかりやすくいえば、意外な新メンバー加入で、人気を盛り返そうとするアイドルグループみたいな感じかな。
――天皇家も人気を気にする時代だったんですね。“歴史”や“血”といった意味では、現在の皇室とつながっているものの、考え方があまりにも違いすぎますね。
堀江 仮説といえば、一休さんの父親という説がある後小松天皇も、実は足利義満の子どもだったのかもしれない……という恐ろしいウワサがありますよ! これは、昭和の有名歴史作家・海音寺潮五郎の仮説なんですがね。
――「火のない所に煙は立たぬ」という有名なことわざがありますが、当時の上流社会は、“性愛”が乱れていたため、さまざまな仮説も生まれたのでしょうか。
堀江 “お盛ん”だったことはたしかなようで、理由の一つと言えます。系図上では、後小松天皇の父親は後円融天皇であるものの、後小松天皇の誕生にも“ウラ”があると囁かれているんですよ。後円融天皇の同い年のいとこに、通称・金閣寺などを建造した室町幕府第三代将軍・足利義満がいるんです。勘が鋭い方はお気付きになるかもしれませんが、2人は後宮の女官を奪い合ったりしていたとか。