『ザ・ノンフィクション』アジア系ハーフをめぐる日本的な“序列”「フィリピンパブ嬢の母とボク」
一方の健の両親は仲が良く、昭也が抱えているような問題は見えない。しかし健はフィリピンパブで働く母親と、ハーフである自分にコンプレックスを抱えている。一方で高校のときにハーフであることを学校でからかわれたのをギャグで返し教室がどっと沸いたのがお笑いの道を志したきっかけにもなっている。健にとってフィリピンのハーフであることはコンプレックスでありながらも、エンジンにもなっているのだ。
ただ、健がネタを考える「ぱろぱろ」のフィリピンネタは、健の母親が「(フィリピンを)どっかでバカにしてるなぁという気持ちはありますけどね」 と浮かない顔で話すようなものが多く、健にその思いも伝えていた。
番組の最後に流れた単独ライブでは「フィリピンを笑いのネタにするのではなくフィリピン人である母と自分の思い出を笑いに変えていました 」とナレーションされており、母親の訴えを受けて何かしらの改善はされていたと思われるが、放送されていたネタの一部は「やーいやーい、お前の母ちゃんフィリピン人」「お前もだろ」 というやりとりで、そこを見る限り「バカにする」視点はさほどなくなっていないように見える。
しかし、「ハーフ」をネタに日本で笑いを取るならどうしたらいいのだろう。思い浮かぶのはアメリカ、フランスのハーフが、ステレオタイプ的な国民性(アメリカ=ヒーローやリーダー願望、フランス=“おフランス”的な気取った感じ)をネタにする、というものだ。しかし、これの「アジア版」はかなりのハードルを感じる。「お前声でかいわ!」「○○人ですから~」は炎上必至だ。
アジアをネタにしづらい理由として、欧米より距離が近く、日本と歴史的しがらみを抱えているというのもあるが、ほかにも少なくない日本人が21世紀の今でも「脱亜入欧魂」を抱えているのもあるのではないか。欧米人のハーフならカッコいいけど、アジア人のハーフは……という暗黙の序列に引っ張られているから、健の同級生は教室でからかったのだろう。そして当人である健も、その序列に縛られている。そして「そういうネタで笑うのは失礼だ」と“良識的に”思う人とて、どこかで縛られている。
「そういう日本人の序列って笑えるよね」と漫才で表現できたら、潜在的な差別意識を説教臭くなく指摘する快挙だと思うが、それを毒蝮三太夫の高齢者いじりが如く「ただただ爆笑してしまう」に昇華させるには、想像を絶するようなスキルやセンスがいるだろう。
石徹白未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂