“中学受験”に見る親と子の姿

算数テストでカンニング発覚! 中学受験生の息子に怒り狂う母が、それでも「目をつむった」ワケ

2019/08/11 16:00
サイゾーウーマン編集部(@cyzowoman

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

テストで「姑息な」カンニング……それでも中学受験生の息子を「叱らなかった」母の意図
「筆算の形跡ない解答用紙」に怒り――中学受験生のカンニングに、母が目をつむったワケ

 中学受験は小学生が臨む受験である。それゆえ、親から見ると、まだ思考が幼いと感ずる部分があるのは致し方ないところである。その幼さが端的に表れるのが「勉強への姿勢」だ。

「なぜ、勉強が必要なのか」
「この勉強は自分にとって、将来、どのように役に立つのか」
「なぜ、中学受験をするのか」
「中高一貫校に行って、何をしたいのか」
「自分は本当に中学受験をやりたいのか」


 こうした根本的な問いに、幼いながらも自分で答えを出せる子でない限り、中学受験は苦しいものになりがちだ。「今と将来の自分に必要だから挑戦している」という自覚がある子と、親の言いなりで課題だけをこなす毎日になっている子とではモチベーションの差が大きい。それがダイレクトに“合否”につながるわけではないが、“人生”の差にはダイレクトにつながっていくように思う。これが親主導の中学受験の怖いところなのだ。

 もちろん、ほとんどの親は、中学受験を「親心」から「子に良かれ」と思って主導するのだが、そこに子ども自身の志が交わらねば、子育てはどこかの時点でつまずきを感じやすくなる。人生は自分の意思で切り拓くもの。親といえども子どもの意思を過剰にコントロールするならば、やがて子どもは自分の人生を他人に委ねることになるだろう。

偏差値30からの中学受験合格記/鳥居りんこ