【特集】「慰安婦」問題を考える第3回

戦地であったがゆえの凄惨な性暴力とコミュニティからの孤立――日本軍による中国人性被害者の知られざる実態

2019/08/10 19:00
小島かほり

被害女性たちは許すための「真理」をほしがっていた

――愛花さんは共産党員だったため、日本軍兵士に「党員名簿を渡せ」と迫られ、ひどい拷問も受けて肉体的にも大きなダメージを負いました。ほかの女性も、子どもを持てなかった人、養女を育てても中国は血縁を重視する社会のために養女から養育放棄される人、望まない結婚をせざるを得なかった人など、多くの人が苦しい人生を歩むはめになりました。また被害者自身がコミュニティーからスティグマ化されるという、性暴力被害ならではの問題もありますね。

班監督 そうですね。愛花さんは、住んでいた村の人たちとうまく関係が作れず、後ろ指をさされるような状況だったので都会に逃げました。都会なら一人の女性として社会に紛れられるから。その後、裁縫や子守で生計を立てながら、細々と暮らしていました。映画の中には、村人たちが協力してその年の農作業を終えているのに、一人で畑に出ているおばあさんがいたと語られる場面があります。彼女も性暴力被害者で、戦後はコミュニティーから疎外され、その後自死しました。

――自身の奇行に悩む女性もいますね。

実際に中国人被害女性が監禁されていた場所/(C)2018 Ban Zhongyi

班監督 彼女たちの多くは、14~15歳で、日本軍が山を掘って作ったような「強姦所」や民家に監禁されていました。窓はひとつしかなく、真っ暗な中一人で監禁され、複数の兵士に集団で強姦されるわけです。私たちが想像できないほどの恐怖を抱いたでしょう。そのため、深刻なトラウマを抱えています。日本軍から解放された直後は室内にいられず、ずっと外で過ごしたという女性もいました。傷が癒えたと思っても、思いもよらぬことで傷口が開くこともあります。日本との戦争が終わった後に、中国では大きな飢饉がありました。そのときにとある女性は、どうにかして子どもを守らなきゃいけない、というストレスが引き金となって発作を起こし、全裸で外に飛び出すという奇行をしてしまった。あとは男性をまったく受け付けなくなる人、逆に性的に奔放になる人もいました。

――そのように現在まで続く苦しみに悩む被害女性に対し、日本は国家賠償をしておらず、謝罪においても「軍が関与した」という表現にとどまり、国として明確な責任を認めていません。一方で、映画の中では旧日本軍兵士だった加害男性や、日本の市民団体が被害女性たちに直接謝罪する場面があります。個人や市民団体の謝罪を、彼女たちはどう受け止めていましたか?


班監督 金学順さんが初めて元「慰安婦」として名乗り出た90年代以降の日本での草の根運動、市民団体の活動、そして彼らの謝罪は、彼女たちの心をすごく癒やしたと思います。長年そばで見てきて、彼女たちの中にも「もう許したい」という気持ちがあったように感じていましたから。でも日本政府が謝らないから、許すこともできない。彼女たちのほとんどがそうであるように、愛花さんも賠償金にはほとんどこだわりがなくて、「なぜ日本軍は女性への性暴力をはじめ、赤ん坊まで殺すような残虐な行為をしたのか。なぜ性被害や虐殺を認めないのか。本当のことが知りたい。真理(真実の究明、謝罪、後世への教育)を取り戻したら友達になれる」とまで言っていました。

太陽がほしい 「慰安婦」とよばれた中国女 / 班 忠義 著