V6・井ノ原快彦は、プライドが高い人間――デビュー当時の冷遇から「現在の成功」を手にした強さ
井ノ原と言えば、『TOKIOカケル』(フジテレビ系)で、ジャニー氏を激怒させたエピソードを披露している。初の雑誌の表紙撮影で、カメラマンの言うままに笑っていたら、ぶさいくな顔になってしまい、ジャニー氏に「とんでもないことをしてくれたな」「YOU、ひどいよ」と怒られたそうだ。井ノ原がきちんとした地位を築いた今なら、いい笑い話になるが、ジャニーズ事務所が美少年を輩出する事務所であること、プロデュースの責任者がジャニー氏であることを考えると、ジャニー氏に見た目を叱責されるのは、タレントとして致命傷になりかねないのではないだろうか。
トータルして考えると、デビュー当時の井ノ原の置かれた環境や評価は過酷と言える。デビューしたら前列、しかもセンターに行きたいと思うのは、芸能人なら当然のことである。しかし、デビュー時の雰囲気で言えば、井ノ原にセンターは無理そうだ。
『ダウンタウンなう』で、トニセンのセカンドシングルでの扱われ方を見たダウンダウン・松本人志は、「終わりや」と言っていた。確かにあのジャケットを見て、トニセンが期待された存在であると思う人はほとんどいないだろう。しかし、“終わり”は違う何かの始まりを意味することもある。野球チームに4番バッターばかりを集めれば勝てるのかというと、そうは言えないだろう。なぜなら、1番バッター、2番バッターにそれぞれ役割があり、彼らがいるからこそ、4番が生きてくるからだ。井ノ原はセンターになることを諦め、一流の脇になろうとしたのではないだろうか。そこに、自身の信念を持つようになったと感じるのだ。
井ノ原を「4番をあきらめた人」と仮定すると、井ノ原のかつての相棒、有働アナも同じ部分があるように見えてくる。有働アナは入局わずか4年で東京進出を果たした優秀なアナウンサー。その一方で、一緒にニュースを読む男性アナウンサーに外見をいじられることが多々あった。有働アナは民放によくいるミスコンの女王を経て鳴り物入りで入社する4番タイプの女子アナではない。しかし、自虐という新しいキャラクターを生み出すことで、親しみやすいアナウンサーとしての地位を確立した。つまり、有働アナと井ノ原は「4番ではない」というポジションが似ているわけで、脇に回ってV6を支えてきた井ノ原は、有働アナと波長が合ったのかもしれない。
常識で考えると、一般人の世界で突出した魅力を持つ人が芸能人や女子アナになったりするのだろう。が、恵まれた人が集まれば、そこでまた新たな序列にさらされることになり、これまで味わうことのなかった挫折を経験するかもしれない。しかし、「損して得とれ」という諺があるとおり、損をすることは負けとは限らないのだ。
かつて、トニセンへの冷遇に「負けじゃねえかよ!」と憤った井ノ原だが、その後、彼は信念をもって負けをあっさり認め、また別の勝ちを得た。プライドが高い人というのは、「負けをあっさり認められる人」のことも、指すのかもしれない。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。