娘と性交する父親は「許されない」のに「無罪」――日本の「近親姦」をめぐる“捩れ”
――1968年、栃木県で15年にわたって実の父親から強姦され続け、子どもを妊娠・出産した女性が、父親を殺害した事件を思い出します。
後藤 この父親は、娘が幼い頃は性虐待を、大人になってからは夫婦同然のように生活し、娘が結婚すると言い出したことに激高して監禁した。まさに「児童虐待+DV」のケースですね。ただこの件は、近親姦というより「尊属殺」という点で注目を集めた事件でした。一方で、実はちょうど同じ頃に、刑法を改正する動きがあり、1974年の「改正刑法草案」には、「第301条 身分、雇用、業務その他の関係に基づき自己が保護し又は監督する18歳未満の女子に対し、偽計又は威力を用いて、これを姦淫した者は、5年以下の懲役に処する」という条文がありました。「偽計や威力を用いて」とあるので、暴行脅迫要件のない「監護者性交等罪」の方が被害者保護には優れていますが、「監護者性交等罪」に通ずるものが、今から40年以上前に、一度、草案としてあがっていたのです。しかし結局、改正刑法草案を反映した法律は実現されませんでした。
――「改正刑法草案」から「監護者性交等罪」ができるまで、かなり時間がかかったのですね。
後藤 43年かかりました。1994年に子どもの権利条約が批准され、子どもの最善の利益が保障されなければらならないとされながら、性虐待への対応はまったく進んできませんでした。2019年国連子どもの権利委員会は、子どもへの暴力、性的な虐待や搾取が高い頻度で発生していることに懸念を示しています。そこでも、子ども自身が虐待被害の訴えや報告が可能な機関の創設や、加害者に対する厳格な処罰が求められているのです。「監護者性交等罪」の成立で、少しは状況が変わることを期待しています。
――愛知の事件でも、多くの人が「おかしい」と感じる無罪判決が出ました。法律が実情と追いついていないのは問題だと盛んに指摘されています。
後藤 近親姦は児童虐待であり、2000年にできた「児童虐待防止法」で、すでに「禁止された行為である」とされています。愛知県の事件では、「実の娘に性交した父親が、なぜ許されるのか」といった声が出ていましたが、現在の日本では「許されない」のです。当時彼女は19歳だったため、「児童虐待防止法」の「18歳未満の子ども」という対象から外れているものの、それでも、実の娘に性交した父親は「許されない」。裁判では、合意があったか/なかったか、抵抗できたか/できなかったかが話し合われていたものの、そもそも「許されない」のだから、本当は議論の余地すらないはずなのです。許されないのに、なぜ無罪なのか――その「捩れ」にこそ、着目してほしいと思います。
――今後、近親姦、また性犯罪をめぐって、社会がすべきことは何でしょうか。
後藤 日本の社会全体が、子どもに対する暴力を容認している、また暴力による影響を軽視していると感じます。「家」制度の影響は法律上も社会生活上もまだ亡霊のように存在していて、親は親権という権力を持ち、また民法では親の懲戒権が定められています。民法では、体罰を明文で禁止していないので、「しつけの名目であれば殴ってもいい」かのように理解する人が少なくありません。、性暴力は、「しつけ」をも超えるもので、いかなる言い訳もそもそも通用しないはずです。いまの通常国会で、この点について児童虐待防止法に、体罰の禁止を盛り込む法律案が審議されていて、もし成立すれば、一歩前進とは言えますが、性虐待に対する対応はまだまだです。
親からの虐待に限定した児童虐待は「監護者性交等罪」である程度カバーできるので、私は「子ども性虐待罪」を作ればいいと思っています。親はもちろんですが、家庭の外にも懲戒権を持つ「先生」や「コーチ」などがいるので、そうした人も対象となる法律を作る。そして大前提として、性交同意年齢13歳未満を変えることは絶対です。「13歳未満」は変えないというのであれば、そのような性教育を行うべきなのに、現実問題、なされていないのも問題です。さらに、現在日本では、同意がなかっただけでは、罪に問われない条文になっていることもあって、これまであまり「同意とは何か」が自分の問題として考えられてこなかった。この点について、もっと議論されるべきだと思います。
後藤弘子(ごとう・ひろこ)
1958年生まれ。千葉大学大学院専門法務研究科長。専門は刑事法。著作に『ビギナーズ少年法』(守山正氏との共著、成文堂)『よくわかる少年法』(PHP出版)などがある。