娘と性交する父親は「許されない」のに「無罪」――日本の「近親姦」をめぐる“捩れ”
――なぜ、日本の現行刑法には近親姦罪がないのでしょうか。
後藤弘子氏(以下、後藤) 現在の刑法は1908年に施行されました。明治初期の刑法は、江戸時代のものを参考にしたもので、「仮刑律」「新律綱領」「改定律例」といった唐・明の律系の色彩の強いものでした。欧米諸国と肩を並べるためには、刑法の近代化が必要だとされ、「旧刑法」が制定されたのです。
そのプロセスの中で参考にされたのが、フランスやドイツの法律です。フランスでは当時すでに近親姦罪はなく、旧刑法を作るにあたって大きな役割を果たした、フランスの法学者、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの草案にも、近親姦罪に関する規定はありませんでした。ボアソナードは、それまで処罰されていた合意に基づく成人間の近親姦に対して、「公権力が家庭における私事に介入すること」は適切ではなく、道徳や宗教によって規律されるべきであると強力に主張。それに対して、日本の関係者も「このような醜態の罪は刑法に置かない方がよい」と賛成しました。もちろん、現行刑法と同様に律の時代でも、「幼児姦」(12歳以下)の場合は合意があっても犯罪だとしていましたし、旧刑法でもそれは踏襲され、現在に至っています。ですから、現在でいえば、小学生以下の子どもの場合は、誰が加害者であっても処罰するべき犯罪だという考えが、明治の時代から存在していました。ただ、親による子に対する性交を特別扱いすべきだという発想は、明治の初めからなかったと言えます。
――日本の社会背景などの影響はありますか。
後藤 当時の封建的な家族観も強く影響していると思います。刑法と同時期に明治民法を作る動きもあるのですが、1908年に成立した明治民法では、家制度という封建的な家族制度を採用することになります。旧民法(1890年公布。未施行)は、先ほどのボアソナードの影響で、自由主義・個人主義的色彩の強い近代的な家族法を目指しましたが、「民法いでて忠孝滅ぶ」と強い反対にあい、結局施行されませんでした。
家制度では、戸主(ほとんどの場合、父親)が強い権限を持っており、例えば結婚をするにしても、戸主の同意がなければできないなど、女性や子どもは、戸主の「所有物」と考えられていました。絶対的な権限を戸主に持たせることで、近代化を進めようとしていた明治政府にとって、そもそも近親姦のように「戸主の権限を制限する」法律を成立させることは無理だったと思います。
――家制度の基となる家父長制が強かった時代の「仮刑律」「新律綱領」「改定律例」では、「親族相姦」罪があり、近親姦が処罰対象になっていましたが。
後藤 確かにそうですが、その対象に「自分の子ども」は含まれていません。父親や尊属の妾、姑、姉妹、子孫の妻、兄弟の妻といった「子どもを産める女性」が対象だったんです。誰かの「所有物」を姦する/強姦することは、儒教的、道徳的に問題視されるだけでなく、子どもの親の確定が困難になり、血統が混乱することにもつながります。それを避けるといった意味合いから、「親族相姦」罪が存在したのではないでしょうか。
そう考えると、所有物である自分の子どもが「自分の子ども」を産んだって、家制度は守られていくわけですし、むしろ当時は「子どもがいない」ことの方が問題だとされた時代でした。「(自分の子どもを対象とする)近親姦を処罰する」ことより「家制度を守る」方が重要視されていた、極端な言い方になりますが、「親と子の性的関係は、そこまで悪いことではない」といった考えがあったように思います。
――今の時代から考えると、「家」制度はかなり理解に苦しみます。
後藤 そうでしょうか? 愛知県の事件からもわかるように、実際に今でも「娘は自分の所有物だ」という家制度的な考え方を持つ人がいるのです。被告人は、「女性より男性の方が力を持つべき」というジェンダー的価値観にかなり共感しているように思いますし、性暴力によって、娘を支配し、コントロールしていたと感じます。性暴力は、相手に恥や羞恥心を抱かせるものであり、単純な身体的暴力よりも相手を支配/コントロールしやすいのです。それに、相手を殴ったら、加害者は自分の手も痛めますが、性暴力は痛いどころか、快感や満足感を得られます。強い立場の人が弱い立場の人を支配するのに、性暴力は、逆説的でありますが、「最も優れた手段」なのです。