『ザ・ノンフィクション』カタギを志した元ヤクザ・タカシが覚せい剤で挫折するまで――「その後の母の涙と罪と罰」
誰しも、ここは奮闘せねばならない正念場はあるが、それは、自分に「イケる」というある程度の自信がないと、乗り越えるのはキツいはずだ。「イケる」手ごたえを体得するには、家庭環境が大きく関係するのではないかと、正直思う。不遇な環境をバネにし立ち上がる人もいるが、それはよほど心が強いケースだろう。タカシは「奮闘」が読めないのだから勉強に自信がなく、そして介護施設を無断欠勤の末に解雇されたことで、また自信の芽は摘まれてしまった。
タカシは両親の離婚後以降、母親に会えていないが、その詳細はドキュメントでは触れられていない。「母親に本当に会いたくなかった」のであれば、まだいいが、タカシが意地を張ってそう言っていたり、また、母親の方に会う気がなかったり、お互い会いたかったものの周囲がそうさせてくれなかった、あるいは、タカシが周囲を察して会うのを諦めていたのであれば、子どもだったタカシにはきつい“諦め”の経験だろう。
そして、タカシ自身も過去に交際女性との間に子どもをもうけた父親であるが、妻に去られて以降、子どもに会えていないという。母親に会えない子どもだったタカシが、父親に会えない子どもをつくっている。
つらい家庭で育った人が、なぜか似たようなつらい家庭をつくり、時にタカシのケースよりもずっと悲惨な結末を迎えるケースは後を絶たない。なぜこういった連鎖が起きるのか、以前カウンセラーの南波実穂子氏を取材した際に、「人間の無意識は変わらないことをよしとするので、よくない状況であっても繰り返してしまう傾向はある」と伺った。
人は意識せず、幼少期からの行動パターンを繰り返す。タカシにとっては未経験の “カタギとしての日々の幸せ”というあやふやなものよりも、すでに身に覚えのある“(教会に入り変えたいと思った前の)自堕落な生活”の到来にほっとしてしまうのかもしれない。
知っている不幸に自ら進んでいかないためには「奮闘」と「頑張りすぎない、でも折れない」の二つで乗り越えていくしかないのだろうが、これは年を追うごとに、相当難しく、厳しくなっていくようにも思える。
次回の『ザ・ノンフィクション』(5月5日放送)は、番組ザ・ノンフィクションファンにはおなじみの42歳現役ホスト「伯爵」による『ザ・ノンフィクション もう一度、輝きたくて(仮)』と、子どもの日にウズウズするような一本だ。
石徹白 未亜(いとしろ・みあ)
ライター。専門分野はネット依存、同人文化(二次創作)。著書に『節ネット、はじめました。』(CCCメディアハウス)。
HP:いとしろ堂