皇室ウォッチャー解説! 「ご在位三十周年記念式典」天皇陛下と皇后さま“3つの名シーン”
陛下はお言葉の中で、「ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ」という、皇后さまの和歌を紹介していました。平成になって間もなくの頃に詠まれたものだそうですが、陛下の「こうした歌を詠んでくれる皇后だからこそ、今までずっと一緒にやってこられた」というお気持ちが垣間見え、やはり陛下にとって、皇后はとても大きな存在であることが伝わってきましたね。
また、皇后さまが陛下をサポートする一幕も。陛下が「お言葉」を記した紙を読む順番を間違えた際、皇后さまがそれに気づいて、「違いますよ」と知らせたのです。陛下が皇后さまのことを信頼しきっている様子が見え、ハプニングではありましたが、二人の絆を感じられることができました。実は陛下は昨年5月にも、ベトナムの国家主席夫妻を歓迎した宮中晩餐会で、お言葉の原稿を読み飛ばしてしまったことがあったので、皇后さまは気にかけていらっしゃったのかもしれませんね。
「皇室は日本の家族像のお手本」と言われることがありますが、こうしたお二人の関係性は、男性優位である昭和時代とはまた違った、対等に共に支え合うという“理想の平成の夫婦像”を象徴しているのではないでしょうか。
【その3】三浦大知さんの歌唱によって生まれた「美しいストーリー」
式典では、三浦大知さんが、天皇陛下作詞、皇后さま作曲の「歌声の響」を披露しましたが、とても素晴らしかったです。もともとこの曲が生まれたのは、1975年、当時皇太子ご夫妻だった両陛下が初めて沖縄を訪れた際に、名護市のハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪問したことがきっかけ。療養所の人たちは、お二人に感謝の気持ちを込め、地元の船出歌「だんじょかれよし」を歌ったのですが、陛下はそのことにいたく感銘を受け、後日、療養所に沖縄の伝統的な定型詩である「琉歌」を贈り、それが「歌声の響」の元になっています。両陛下は、その後も日本各地のハンセン病療養所に足を運んでおり、75年のこの出来事が、両陛下の「弱い立場の人たちに心を寄せる」という活動の原点になっているのではないかと思うのです。そして今回、「歌声の響」を沖縄出身の三浦さんが歌ったことにより、非常に美しいストーリーが生まれたと感じましたね。
三浦さんは相当なプレッシャーだったことでしょう。「歌詞を飛ばしたり、音を外したらどうしよう」という不安もあったはずですし、そもそも「畏れ多い」という理由で、依頼を断ってもおかしくなかったですが、三浦さんの歌はとても堂々としたもので感動しました。