R・ケリーの「性暴力」告発番組、ガガやジャスティンは証言拒否! “アリーヤへの手切れ金は1万円”で大炎上
2017年7月、米ニュースサイト「BuzzFeed」に「未成年女性を洗脳し監禁している」と性暴力疑惑を報じられた、歌手のR・ケリー。昨年3月には英インターネットテレビ「BBC3」が「14歳の頃からケリーの性奴隷になるよう調教された」「彼は性奴隷を監禁している家を“セックス・ダンジョン”と呼ぶ」という女性の証言を放送し、4月には「ケリーから性病をうつされた」と告発する女性が登場。5月になるとケリーに対するボイコット運動「#MuteRKelly」が活発化。大手音楽配信サービス「Spotify」や「Pandora」がケリーの楽曲をプレイリストから除外するなど、イメージダウンの一途をたどっている彼が、ますます窮地に追い込まれている。米ケーブル局「LifeTime」が、『Surviving R.Kelly(R・ケリーからの生還)』を1月3日から3夜連続で、全6話を一挙に放送したからだ。
これは、「ケリーがどうやって未成年の女性を心身ともに支配し、性奴隷に仕立て上げていったか」を、被害者や元妻、きょうだい、仕事関係者が告発するドキュメンタリー番組。3日に放送された『Surviving~』第1話では、ケリーのバックアップシンガーだったジョバンテ・カンニガムが、1990年代前半にツアーバスの中で、ケリーと当時未成年だった歌手のアリーヤがセックスしているのを目撃したという証言を紹介。涙を流しながら「みんなアリーヤのことを大事に思っていたから、本当にショックだった」と吐露した。
アリーヤが12歳の時、ケリーは当時のマネジャーであるバリー・ハンカーソンから「歌手志望のめい」と紹介された。それから間もなくリリースしたケリーのシングル「She’s Got That Vibe(彼女、いい感じ)」(92)で、「小ちゃくてかわいいアリーヤもいい感じ」と歌っていることから、ケリーは彼女をすぐさま気に入ったよう。ケリーは彼女のデビューアルバムのプロデュースを手がけることになり、彼女が14歳の時に「Age Ain’t Nothing But A Number」(94)をレコーディング。少女が「あなたがたまらなく好き」「今夜は最後までヤルわよ」と男を性的に挑発するとんでもない曲だが、抜群の歌唱力で評価され、アリーヤは「これまでにないタイプの歌手」としてたちまちスターとなった。
『Surviving~』に出演したケリーの元ツアーマネジャー、デメトリオス・スミスは、2人が親密すぎることを懸念し、ケリーに「何もしてないよな」と確認したことを証言。ケリーは「手は出していない」と否定していたが、しばらくたち「どうしよう。アリーヤを妊娠させたかもしれない」と告白され、「裏切られた気持ちになった」と振り返った。
そして、94年。当時27歳だったケリーは、15歳のアリーヤの年齢を18歳だと偽り、結婚。立ち会ったデメトリオスは「アリーヤの年齢偽証は自分がした。悪いことをした」「イリノイ州メイウッドのホテルで結婚したのだが、挙式と呼べるようなものではなかった。アリーヤは白いドレスを着たわけでもなく、ケリーもタキシードではなく2人とも普段着だった」と回想。続けて、「アリーヤは当惑しており、おびえていた」と深いため息をつき、「心配そうで、すごく怖がっていたんだ。彼女の腕をつかんで、(本当にこれでいいのかと)話をしたくなるような衝動に駆られたよ。アリーヤは本当におびえていて。自分の話を聞いてほしいと訴えているような、そう思わせるような表情をしていたんだ……」と懺悔するように語った。
この結婚は年齢を偽装したことが明らかになり、2カ月もしないうちに無効に。2人は別れることになり、「ケリーがアリーヤに、“自分のことを法的に訴えない”という同意をさせるための金として100ドル(約1万円)を支払った」というテロップが流れると、ネット上は「たった100ドル!?」「タイプミスでしょう?」「ケリー最低」「本当にキモい!」と大炎上した。
ケリーと別れたアリーヤは01年に飛行機事故に遭い、22歳の若さで他界。ケリーは翌02年にシカゴ警察、03年にはフロリダ警察に、児童ポルノの罪で逮捕・起訴される。だが、シカゴの裁判は「逮捕のきっかけとなったセックス動画の中で、未成年の女性に金を手渡し、自分のことをダディと呼ばせながらフェラチオさせ、セックスし、女性に放尿した男は自分じゃなくて弟」という主張を陪審員が信じたのか、無罪に。フロリダの方も、証拠とされるデジタルカメラに収められていた「未成年女性とのハメ撮り写真」は、警察が不当な家宅捜索によって発見したものだと裁判所が判断し、起訴が取り下げに。この2つの訴訟、裁判に関しては、4日に放送された『Surviving~』第3話、4話で紹介された。