「ジェンダー論の、少し先の話」――著者・はるな檸檬さんに聞く『ダルちゃん』執筆の背景
擬態したダルちゃんが出会うのは、営業のスギタや、友達となる女性サトウさん、そして、のちに恋人となるヒロセくんたち。それぞれが印象的な言葉をダルちゃんに投げかけ、彼女とともに読者も揺さぶられる。なかでもスギタは、ダルちゃんを踏みにじる傲慢な人物として描かれており、似たような男性との遭遇経験のある読者も多いようで、特に反響を呼んだシーンの一つでもある。
――はるなさん自身も、スギタみたいな野郎と遭遇したことがあるんですか?
はるな うーん…なんていうか、ああいう人は別に、いつでもどこにでも、いくらでもいますよね。わたしがあの場面で描きたかったのって、たぶん「こういう男いるよね! 気をつけようね!」とかじゃなくて、女の子、もしかしたら男の子もですけど、弱者の立場にいて、さらに自己肯定感の低い人間が自分を守るつもりで逆のことをしちゃって、誰かに蹂躙(じゅうりん)されてしまうまでの流れを可視化したかったというか。具体的に何が起こっているのかをみんなで共有したい、みたいな感じです。男性批判とかでもない。スギタさんが女性でダルちゃんが男性でも、同じことは起こり得ますし。
実は本作を描くにあたり、あるひとりの女性を念頭に置いたんです。わたしより少し若いくらいの女の子で、恋愛相談を聞いたのですが「セフレがころころ変わる生活をしていて、友達に30歳になったから、同じようなことはしていられないよとか言われるんです……。でも自分は別に困ってはいないしー、男落とすのってゲームみたいで面白いじゃないですか、コレクション増えたみたいな(笑)」とか話していて、こちらが何を語りかけてもまったく響かない子で。自分以外の誰かを大切にするとか、それ以前に自分を大切にするといったことが欠落している感じで。
そんな中で、一緒に話を聞いていた年上の女性が、とても鋭いことをおっしゃったんです。「それは肉体的に負荷がかかる行為だと思うけど、それを繰り返さなきゃいけない今のあなたの状況は、わたしから見ると自傷行為に近い」と。それを聞いても彼女は、「ほおー」なんて言うだけで。いくら言葉を尽くしても、かみ合わなかったんですよね。
そういったことが、ずっと頭に残っていたんです。彼女に、何をどう伝えればよかったんだろう、と。人間、生きる中でもっともつらいことは、自分と向き合うことだと思うんです。見たいように物事を見ると、現実よりもちょっとよく見える、けれどそんな自分の本質を真正面から見るのって、すごく怖いですよね。彼女の話を聞いていると、幼少期から他人と比べられ続けて劣等感を植えつけられる経験があったようでしたが、ダルちゃんも、幼少期から自分を否定されることで、「自分を否定されたくない」という思いが強すぎて、スギタを好きになろうとしたんだと思うんです。
こうしたシーンを描いて、若い女性が俯瞰でダルちゃんの姿を見ることで、「不誠実さが自分自身に向かうことの残酷さ」を伝えたい、という気持ちがありました。