及川光博と離婚……檀れい、過去の「別居疑惑」記事に見る“ワケあり母”との関係性
芸能人という不確かな仕事をしている以上、収入が変化することは十分あり得る。収入が減ったとしても、それは責められないのではないだろうか。また、及川に檀のお母さんの面倒を見てもらいたいという発想も、ちょっと極端に感じる。人気芸能人が家族の生活の面倒を見ることはよくあるが、妹さんが結婚したのであれば、お母さん1人を見ればいいことになり、金銭的負担は減って楽になるはずだ。記事を読む限り、お母さんは日常生活を1人で送るのに差しさわりがある状態には感じられないため、同居は必要なさそうだ。それなら今まで通り、金銭的な援助を続ければいいのではないだろうか。どうして、「及川に面倒を見てほしい」ところまで飛躍してしまうのだろうか。
断っておくが、私は親の面倒を見なくていいとか、見捨てろと言っているのではない。
お母さんが健康に生活を送っているなら、これまで通り金銭的援助はそのままにして、時々会いに行くというスタイルをとればいいのではないだろうか。なぜ夫と離れて、お母さんと同居する必要があるのだろうか。親の面倒を見ることは“親孝行”とされ、「いいことだ」と言われる。しかし、特に差し迫った事情があるわけでもないのに、本来の自分の持ち場……檀の場合、結婚した家庭ではなく親を優先するのだとしたら、それは「親から離れられない」という依存ではないかと思う。
檀は、及川が特に健康状態に問題があるわけでもない「母親の面倒を見てほしい」と言ってきたら、諸手をあげて大賛成できるのだろうか。もし躊躇するとしたら、及川と同じである。「優しい」とか「冷たい」という言葉で片づけられる問題ではないのだ。
一般人の世界でも、ワケありの母親より、娘の方が経済力や行動力を持つようになると、娘が親孝行に勤しむ話をよく聞く。このケースがうまくいくのは、“他人が入ってこない”状態の時である。娘に彼氏ができたり、結婚すると、母親は最優先されなくなったことに不満を感じ、娘は娘で、自分の母親を“常に”気遣ってくれない彼氏や配偶者を「冷たい」と感じる。こうなると、娘の配偶者は母娘共通の“敵”となる。
檀がそうだと決めつけるつもりは毛頭ないが、ワケありの家庭に育ち、成功した娘ほど、家族との“境界”がわからないことは多々ある。人間関係には、段階と関係に応じた“助け方”があるはずなのに、家族だと境界線が引けず、「お母さんのために給料を全部渡す」といった具合に、極端な接し方しかできなくなってしまう話はよく聞く。
及川と檀は、離婚を報告する書面で「笑顔で出した結論です」と述べた。笑顔で離婚を決める人はあまりいないと思うが、もしかしたら、及川を憎む隙もないほどに、檀の頭の中を占めていたのは、母親のことなのかもしれない……そんなことを思ったりもする。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
ブログ「もさ子の女たるもの」