オードリー・若林正恭、『黄昏流星群』トークに感じた「ピュアな恋」への盲目的な憧れ
そんな若林は同番組で、最近、『黄昏流星群』(小学館)にハマっていると話していた。現在、フジテレビで放映されているドラマの原作で、『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)で共演するウッチャンナンチャン・南原清隆に勧められたそうだ。
もともと、若林は女性向けの恋愛漫画が好きではないという。その理由として「20代が30代前半のオトコをどう落とすかみたいな話になると、『40だから、こっちは』(と思う)」と、自分は蚊帳の外な存在であるため、物語に入り込めない点を挙げ、さらに「(漫画から)『女はこんな腹黒く考えてるんでござい』みたいな。『ビビリなさい、オトコたち』みたいな(圧を感じる)。実際、ビビるし」と続け、女性が打算を張り巡らせて、相手を選ぶことに恐怖を感じるからだと説明した。
しかし『黄昏流星群』にはそれがないと語る若林。その理由を「40~50代の男女の出会いは、10代の時のようなピュアさがある」と説明した。若い方はご存じないだろうが、90年代に「恋は遠い日の花火ではない。」というウイスキーのCMが話題を呼んだことがある。俳優・長塚京三が、部下のわっかい美人OLに「課長の背中を見るのが好きなんです」と言われ、図らずもときめいてしまうというものだったが、40~50代の恋愛とは、条件ではなく、こういう些細なことで始まると、若林は言いたいのかもしれない。
が、思い出してほしい。10代の時の恋愛って、そんなにピュア一辺倒だったろうか。社会的に見れば子どもではあるが、「〇〇クンとつきあえたら自分のステイタスが上がる」とか、「彼氏がいる自分が好き」と言った具合に、子どもなりの“計算”は存在するだろう。それに男女とも、相手を好きだと思っているものの、それは性に対する興味ではないと言い切ることは難しいのではないか。10代の恋愛だからピュアとは言い切れないのである。
そもそも、『黄昏流星群』だって打算バリバリである(ネタバレを含むので、ドラマ版を楽しみにされている方は、ここから先は読まないでいただきたい)。
ドラマは、原作『黄昏流星群』の中の『不惑の星』がベースになっている。仕事ひとすじだった妻子ある銀行マンが、子会社への出向を命じられ、失意の中、スイスに旅立つ。そこで知り合った日本人女性と不倫関係に陥り、夫婦不仲だったこともあり、家庭を捨ててもいいと思うようになる。しかし、突如、銀行への栄転が決まると、女性スキャンダルがご法度の銀行マンらしく、女性と距離を置き始める……という内容だ。
左遷されて淋しくなれば女性を求め、栄転が決まると、保身のために女性から離れる。若林は女性向け恋愛漫画に描かれる女性の腹黒さを怖いと発言していたが、青年向け漫画である『黄昏流星群』だって十分腹黒いし、打算的なのではないか。恋愛感情を美しいものと解釈する人は多いが、そこには男女年齢を問わず、無意識のうちに打算や性欲、嫉妬など理性で割り切れない気持ちが混じっているのではないか。打算のない恋愛がこの世に存在すると私は思わない。
恋愛がピュアなものかという解釈はそれぞれに任せるとして、確かなことは、若林が「ピュアな恋に、盲目的に共感する」ということである。だからこそ、今回の破局を、南沢の仕事にプラスになるようにするという芸能人としての気の回し方ができなかったのかもしれない。なお、最後に付け加えるが、若林の彼女志望の女性たちよ、ピュア芝居を磨け。ここが若林攻略の最大のヤマであるような気がする。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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