オリラジ・中田敦彦の「いい夫」エピソードに見る、「仏作って魂いれず」の妙な夫婦関係
妻である福田も、11月2日の『ノンストップ』に出演して、ダメ出しばかりした自分が悪かった、反省したと述べていたが、なんだか意味がわからない。例えば、中田はコラムの中で、家族全員でお風呂に入る時に、中田が下の子を洗うのに熱心ではないと福田が怒った話を挙げていた。中田は、子どもを洗うよりも、先に自分が上がり、子どもたちを拭くなどのお世話をやった方がいいと思っていたそうだが、それならみんなで風呂に入る意味はないのではないか。ダメ出しして当然だろう。「仏作って魂いれず」という、肝心なものが足りていないという意味の諺がある。風呂に限らず、中田は完璧に夫業、父親業をやったと思っているようだが、結構ヌケがあったのではないかと推察する。
中田が夫として足りていなかったと責めたいのではない。この夫婦は案外、簡単なすり合わせができていないのではないかというのが、私の印象だ。例えば、中田が下の子を洗わない傾向があると思ったら、「洗って」と言えば済む話だろう。しかし、福田は長いこと指摘していなかったようだ。そこに垣間見えるのは、福田の妙な遠慮である。
『ノンストップ』で福田は、「だめな妻や夫と思われるんじゃないかという意識があるから、相手に合わせちゃう」と遠慮のワケを説明している。ここで気になるのは、誰がだめな妻、夫とジャッジするのかなのである。配偶者への「こうしてほしい」というリクエストは、夫婦にとって業務連絡であり、たいていは「できる」もしくは「できない」というふうに話は展開していき、着地点を見つけるはずだ。そこに「だめな妻(夫)」という評価を持ってくるのは、福田も中田を見ておらず、「世間から見てどう見えるのか」という規範に乗っ取って行動しているからではないか。
『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)で、中田の自宅VTRが流れたことがある。その中で福田は、夕飯として、湯豆腐と鯵のなめろうという、彩りがいいとは言えないメニューを披露していた。公開するからには、視聴者の目に留まる料理がいいだろうし、スタッフに実際に料理をふるまうわけでない。となると、テレビ的に求められるのは味より見栄えである。にもかかわらず、なぜこんな地味なメニューにしたかというと、「料理教室で習ったから」と福田は説明していた。求められていること(テレビ的に見栄えがする)よりも、料理のセンセイという一種の権威に忠実な福田は、難しい学校に合格することがスゴいという「高3メンタリティー」の中田と似ていないだろうか。私には、この人たちは似た者夫婦に見える。
夫婦仲というプライベートを飯のタネにすると、いろいろ言えないこともあって面倒くさいだろうと推察するが、あなたたち、そっくりだから仲良く頑張ってと、遠くからエールを送りたい。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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