三田佳子の息子は4度目の逮捕――「二世タレントが薬物に手を出す」ワケを臨床心理士が考察
今年9月、三田佳子の息子・高橋祐也が、覚せい剤取締法違反で4度目の逮捕となった。このニュースに、世間は「またか……」「懲りない奴」とため息を漏らし、三田自身も「親としては、もう力及ばずの心境」と、落胆の色が滲むコメントを発表した。
二世タレントの薬物事件は、決して珍しくない。2009年には中村雅俊の息子・中村俊太が、大麻取締法違反で逮捕。また、橋爪功の息子・橋爪遼も17年に覚せい剤取締法違反で逮捕されている。薬物だけでなく、犯罪に手を染めてしまう二世も少なくなく、世間に「二世は道を踏み外しやすい」という漠然としたイメージが広まっているのは事実だろう。当然、真面目に生きている二世も大勢存在するが、二世という立場自体に、“薬物に手を染めてしまう”要因はあるのか。臨床心理士の矢幡洋氏に話を聞いた。
二世が抱える“生きづらさ”の正体
「親が大物芸能人」という、一般人にはなかなか理解できない特殊な環境で育つ二世。矢幡氏はまず、それが二世にとってどういう状況を生み出すのかについて指摘する。
「基本的に二世は、他人から、『自分個人』を見てもらえるのではなく、『誰それの子ども』としか見てもらえない、また何かを成し遂げても、『個人の実力』を認めてもらえない面があります。普通、人は、経験を積み重ねることにより『自分はこれができる』『これが苦手だ』と確かめていき、アイデンティティを確立していくもので、それが健全な青少年の成長過程なのですが、対して二世は、自分でアイデンティティを形成する前に、他人から『誰それの子ども』と規定されてしまうわけです。そのため『誰も自分個人を見て評価してくれない』という悩みを抱えやすいのではないでしょうか」
“個人として評価されない”とは、つまり「何をしても世間水準で『頑張った』と評価してもらえない」ということだそうだ。
「アイデンティティを形成する思春期の頃から、親を上回るような才能を発揮するなんてことは非常に難しい。そうすると、例えば学校で『誰それの子どもなのに歌がうまくない』『誰それの子どもなのに、国語の朗読に大した表現力がない』など、偉大な親と比較されて、ネガティブな評価をされがちになるんです。本人としては『ほかの人よりはうまくできているはずなのに』と思っても、どこまでいっても“親”と比べられるのは、心に大きなプレッシャーをかけ、ともするとひねくれてしまう可能性もあるかもしれません」
反対に、周囲から「誰それの子ども」としてチヤホヤされ、本人の実力以上に評価されるケースもあるかもしれないという矢幡氏。しかし、やはりどちらかというと、「マイナスに評価され、アイデンティティを形成するルートから外れてしまうことが多いのではないかと思います」と考察を繰り広げる。
「それに二世というのは、周囲から大きな期待をかけられるもの。期待に応えられない、また親との比較でマイナス評価をされてしまうと、二世自身が『親に比べて自分は……』と自己否定をしだし、自己肯定感(自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情)がなかなか得られない、いつまでたっても自己肯定できず、自分が納得できるアイデンティティを確立できない状態に陥ってしまいます」