カルチャー
現役&元・吉原ソープ嬢対談【前編】
ジャニーズ・俳優とヒミツのプレイ、「はとバス」が風俗斡旋!? 吉原ソープ嬢対談
2018/07/14 19:00
――稼げた時代から稼げない時代へ……。風俗業界も時代とともに変化していますが、昔はどうだったんでしょう?
ゆか 私が風俗業界に入った1983年の頃は、バブルの始まりですごい時代だったから。お客さんは降って湧く状態だった。もうひっきりなし。待合室には常にお客さんが20人くらいいたし、立って待ってる人もいるくらい。
曼 最高月収とか覚えています?
ゆか 最高月収は320万。1ドル365円の時代。生理休暇はみんな海外だったけど、私はちっちゃい子どもが2人いるから、行けないんですよ。だから、そのお金を貯めてきた。毎日、車で出勤していたんだけど、当時、吉原の駐車料金は1カ月7万円。家の駐車場が3万円で、それだけでも10万円。
曼 時代が違う。吉原で働いている人はタクシーをすぐ使うんですけど、今は不景気で儲からないから歩いている人も多いです。私は原付で通っていた(笑)。
ゆか あとは「はとバス」が来てたこともある! 男性限定のツアーで、浅草とか観光した後に、吉原に来るっていう。第一目的はそれ(笑)。
曼 すごい。今昔話ですね。お店の人が言うんですか? 「今日はとバスの団体さんが来る」とか。
ゆか そうそう。「今日は、はとバスの何名様だから、みんなこの時間入って」って。田舎のお客さんは、みんな靴下の中やベルトの中にお金を隠してたの。東京は危険な場所だと警戒してたのね。