男女がわかり合うにはどうすべき? 詩人・文月悠光と男の娘・谷琢磨が語る「セクハラ問題」
――文月さんは著書の中で、コミュニケーションに関してコンプレックスがあると告白されていますよね。谷さんは、何かコンプレックスはありますか?
谷 ありまくりです! そもそも、コンプレックスの塊が、この女装姿に表れているというか。僕、足のサイズが23cmしかないんです。男性の格好をしていた頃は、自分に合うサイズの靴を探すのも大変でした。社会が求める男性像から自分がかけ離れていたので、それに対して当時はコンプレックスを抱えていました。
でもあるとき、自分のダメな部分や嫌な部分も磨いていこうと思いました。自分の嫌な部分が前面に出ているのが、今の女装という形なのだと思います。結局、万人に好かれようと頑張るわけではなく、とてもニッチなところで、自分が嫌いな部分を好きになってくれる人がいるんです。そこを伸ばしていく選択肢を採りました。
文月 社会から押し付けられた男性像に乗れない男性たちは、実は多いと思います。それに対する違和感を大半の人は押し殺したり、女性への嫌悪感(ミソジニー)に転じて怒りを女性にぶつけたりする人もいると思うんです。でも、谷さんの場合、嫌われてもいいから少ない人に自分を理解してもらおうと自分を作り変えた。とても強い生き方だなと。
――文月さんは前作のエッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)で、セクハラを受けたことを綴っていて、今回の書籍でもまた、セクハラについて書かれています。昨年末から#MeToo運動が起こり、福田淳一前事務次官のセクハラ問題と、それにまつわる麻生太郎財務相の問題発言も話題です。なぜ最近こんなにセクハラ問題が起こっているのか、お二人はどう考えますか?
谷 やはり、セクハラを受けた側が、どんどん言えるようになってきているということですよね。
文月 でも、口を開けるようになってきたからこそ、難しさを感じます。本当はどういう立場であっても「これ、おかしいよね」と言えるのが健全だと思うんです。実際には、被害を受けた側が攻撃されることも多いですし、(告発に対する)受け入れ体制ができている人ばかりではないところに生身で飛び込んでいくのは危険すぎるのではないかと、心配になりますね。
また、男性側からは#MeTooしにくい面もあり、非対称だなと思います。福田前次官に対して女性記者が告発することができたのは、「同じことを繰り返させてはならない」という使命感のようなものが強かったのだろうと思います。でも、勇気ある行動を取ったにもかかわらず、福田前次官はセクハラの存在自体認めようとしなかった。そこまで女性の心を踏みにじるのか、とあぜんとしてしまいました。二次被害も深刻ですが、今は過渡期なのだと思い、慎重に見守りたいです。