「取り返しのつかないオナニーをしている」死を見て興奮する“わたし”の苦しさとは
殴られたいが、服を脱ぐことと、体に触れられることは徹底的に拒絶した。なぜか。作中で、ペス山さんは「自分の肉体を、女性として扱われる違和感」があり、「嫌で仕方がない受け入れられない肉体を 暴力で壊す」ために、殴られたいのかもしれないと、自己分析している。
――出会い系で会った相手には、よくイラマチオを要求されていたと描かれていましたね。
ペス山 正直、めんどうだし痛いし吐いてしまうし、「なんでこんなことをしなきゃいけないんだろう」という気持ちもありました。むしろ、わたしに生えていたらしゃぶってほしいわ! と。
――女性として扱われるのは苦痛だけど、フェラチオは受け入れられるんですか?
ペス山 手や口に、性別は関係ないじゃないですか。自分の体に触られなければ。それに、わたしが服を着ているというのが重要で、自分の“女性”の肉体から逃げるために、いつもぶかぶかの服を着て、彼らと出会っていました。
――イラマチオも、苦痛を与えるプレイのひとつです。殴られる時のような興奮は得られないのでしょうか。
ペス山 そうでもないですね。そもそも、「イラマチオをしてくれ」と言う男性の殴り方は甘くて、相手はもう殴り終え、「さあヌイてくれ」状態でも、わたしは「まだまだ殴られ足りない!」状態だから、齟齬が生まれてしまう。これは仕方がないことだと思いますけれど。
――とても初歩的な質問ですが、殴られる=濡れる、ではないんですよね?
ペス山 違いますね。痛くて泣けてきて悲痛な気持ちになると、そこではじめて興奮できるんですが、泣くと心配されてしまう。「いや、違うんだよ! もっと来いよ! ここからなんだから!」と、もどかしかったです。でも、“彼”はそこをやすやすと超えてきたんですよ。最高でした。天才ですよ。本当に死ぬかと思いました。
「彼」とは、ペス山さんが“恋”に落ちた相手。第1話冒頭と、第10話以降登場する「彼」と出会ったのは、いつもの掲示板だった。美しい容姿に可愛らしい雰囲気。「この子が本当に殴れるのか」と不安になった。