中学受験は「親のエゴ」「エリート志向」? 親と子の“一筋縄ではいかない”受験事情に迫る
お金の話が出たので、ついでに書くと、中学入試では文科省が定めた小学校学習指導要領の範囲を超える内容も事実上、多く出題されるので、有名校へ専門塾に行かずに合格切符を得るのは至難の技である。そのため、新小学4年生から塾通いを始めるのが一般的になっているが、その費用、6年生までの3年間でおよそ200万円かかってくる。
その次に私立中高一貫校に行かせると6年間で450~600万円かかる(大学付属校になるともっと高めで、700万円超のところもたくさんある。政府は20年度から年収590万円未満の世帯を対象に私立高校の授業料も実質無償化する方針を打ち出している)。一気に徴収されるわけではないので、年間100万円だと仮定して「あら、私のパート代で私立に行かせることができる!」と頑張る母もたくさんいる。
これを安いと取るか、高いと取るかは、そのご家庭ごとに違ってくるが、上記のようなことが複雑に絡み合っての“中学受験”という“選択”になるのである。
なぜ親は子どもに中学受験をさせるのか?
次に、そもそも親子にとって「中学受験とはなんぞや?」ということを語ってみよう。中学受験は入試なので合否が出る。しかも第一志望に入れる子は5人に1人といわれる世界なので、厳しい戦いではあるのだが、たとえ第一志望校不合格となったとしても、この経験を体感した者たちの多くが、中学受験を無駄とは思っていないのが実情だ。
それはなぜかといえば、私はやはり“親心”だと感じている。「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉もあるが、我が子が“ゴールデンエイジ※”という年齢を迎えると、親はこれから先、どのような道筋をつけてあげると、我が子がより幸せに生きていけるだろうか……ということを考えるようになるものだ。(※ゴールデンエイジ=小学校高学年の時期を指す。「生物学的臨界期」とも呼ばれ、さまざまな神経回路が形成される時期で、生涯の中で神経系の発達が一番著しい年代と考えられている)
ある親は我が子にスポーツを本格的に究めさせようとするだろうし、ある親は音楽的才能を伸ばそうとするだろうし、あるいは、この時期はあえて自由にさせておこうとする親もいるだろう。要するに“習い事”というものを考える時期に入るのだ。その数多ある選択肢の1つが中学受験であると、考えられている。
先述のとおり、教育界では黒船来航くらいの衝撃波が襲っているが、もし数多ある選択肢の中から、中学受験を選んだ親は「いやでござんす(1853)ペリー来航」(←中学受験の年号語呂合わせワード)と呟きながら、親子の受験である中学受験を楽しんでほしいというのが私の本心だ。
ただ、そうは言っても、今まさに当事者の親子たちには“楽しい”と言っていられない実情もある。次回からは「中学受験を通してみた親子の姿」をつづっていこう。
(鳥居りんこ)