生まれてきた娘には障害があった――家事もする大学助手の夫との生活は順調に見えたが……
『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第12回 東智恵子さん(仮名・51歳)の話(前編)
「ある日突然、家の鍵を替えられて、中に入れなくなりました。それは別居して1年半後のことです。『なぜ入れてくれないの?』と元夫へメールしたら、『おまえは娘を虐待する。家に入れたら、どんな嫌がらせをされるかわからない』という抗議のメールがすぐに届きました」
そう話すのは、東智恵子さんである。そもそも、なぜ別居したのに、家に入ろうとしたのか? なぜ夫から「虐待する」と言われているのだろうか? 詳しい話を聞く前に、まずは生い立ちから伺っていった。
■大学のサークルで知り合った、おとなしい男性と結婚
――ご出身はどちらですか? どんな子ども時代だったのですか?
北関東で生まれました。うちの父が高校の数学教師だった関係で、その県内各地を転々としながら育ちました。東京大学か大学の医学部に入ることを父からは期待されていて、それに応えるべく、私は勉強に励みました。しかし、東大は不合格。都内中堅大学の理系学部に入学しました。
――旦那さんとは、どうやって結婚に至ったんですか?
元夫とは、大学のインカレサークルで知り合いました。もう30年以上前のことです。メンバーの中では、比較的二枚目。静かに本を読んでいるのが好きな、おとなしい哲学者タイプでした。私の兄がおせっかいでうるさい人なので、それとは真逆のタイプである彼に惹かれていきました。この人と結婚すれば、平和で落ち着いた暮らしができるんじゃないかなって思って、元夫を結婚相手として意識するようになっていったんです。そして、数年間交際したのちに結婚しました。私が教師として就職した頃のことです。
――子どもが生まれるまでは、どのような結婚生活だったんですか?
結婚当時、元夫は大学院生で収入がなかったので、生活費の多くは私が賄っていました。2年後、彼が関西の大学に助手として採用されることになったのを機に、私は教師を辞めてついていったんです。もともと教師には向いてなかったし、ちょうど妊娠したこともあって、教壇を降りることにためらいはありませんでした。元夫が就職して半年がたったタイミングで、長男が生まれたんです。