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草なぎ剛、ジャニー喜多川氏に異例の“謝辞”! 「思い出深い」写真公開にファン感涙

2017/11/02 08:00
kusanugikun
事務所を離れてもジャニーチルドレンだよネ!

 9月8日をもってジャニーズ事務所を退所し、同じく元SMAPメンバーの稲垣吾郎、香取慎吾と共に新たな活動をスタートさせた草なぎ剛。女性ファッション誌「Oggi」(小学館)の連載「絶対的好感論」は、10月28日発売の12月号で最終回を迎えたが、その中で草なぎはジャニー喜多川社長への謝辞を述べている。

 2014年から始まった「絶対的好感論」を終えるにあたり、草なぎは12月号で連載の思い出や最新の仕事事情について言及。プライベートフォトを紹介するコーナーでは、東京・原宿で撮影した写真を公開し、「原宿のこの交差点は、芸能界に入るきっかけとなったオーディションで来た思い出深い場所。僕をここまで育ててくれた事務所や、ジャニー(喜多川)さんにはすごく感謝しているんだ」と、コメントしている。退所したメンバーから「ジャニーさん」の名前が出るのは異例だが、これが現在の草なぎの本心なのだろう。

 草なぎは、ジャニーズのアイドル・少年隊にあこがれを抱き、中学1年の時(1987年)にジャニーズ事務所に自ら履歴書を送り、見事合格。SMAP内では中居正広に次いでジャニーズに入所した順番が早く、意外にも木村拓哉、稲垣、香取よりもJr.歴は長かった。

「草なぎはSMAPとしてデビューする前、ジャニーズの活動を離れて男性アイドルグループ・CHA-CHAの前身である『茶々隊』に参加した時期もあります。これは萩本欽一が司会を務めた『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)という番組の放送に合わせて結成されたユニットで、当時はタレント・勝俣州和らも所属してました。最初は木村もメンバーに入っていたものの、レッスンの途中でグループを離れてしまったそうです。草なぎはCHA-CHAのデビュー直前まで在籍するも、萩本の判断でジャニーズに戻されたとか」(ジャニーズに詳しい記者)

 こうして紆余曲折を経た草なぎは、SMAPとして91年にCDデビュー。ところが、グループはその後なかなかブレークできなかったため、デスクと呼ばれる事務員だった飯島三智氏がマネジャーを担当するようになり、「国民的アイドルに成長していった」と伝えられている。しかし、以後のSMAPはいわゆる“ジャニーズ本体”との関わりも少なくなり、メンバーがジャニー社長と対面する機会も減ってしまったようだ。


「それでも、メンバーは年に数回のペースでジャニー社長の過去のエピソードを語っていました。ジャニー社長が命名した『SMAP』というグループ名は、Sports、Music、Assemble、Peopleの頭文字をとっていますが、05年のコンサートツアーで草なぎが明かしたところによれば、ジャニー社長から『SはStudyのSでもいいんだ』と教わったことがあるそうです。また、草なぎは06年に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際、『14歳ぐらいの時に、ジャニーさんから「YOUは24歳の顔してるね」って言われました』『俺、どうしよう? と、この先。だって、中2なのに24ってなんだよ! って。ジャニーさんもひどいですよね』と、笑いながら告白していました」(同)

 そんなジャニー社長は、昨年の解散騒動時にSMAPメンバーと「何度も面談」し、会えない時は電話をかけていたという。昨年8月の日刊スポーツの報道によると、「草なぎ剛に何度も電話するあまり、同じ『剛』のKinKi Kids・堂本剛との電話中に、堂本と草なぎを混同してしまうこともあった」とのこと。解散や退所にあたり、メンバーと事務所の確執などさまざまな報道が噴出していたが、ジャニー社長や草なぎ個人の間に軋轢はなかったものとみられる。

 今回の「Oggi」でのジャニー氏への謝辞に対し、SMAPのファンは「剛が『事務所とジャニーさんには感謝している』って……泣ける」「つよぽん、コメント素晴らしい。いろんなことあって大変だっただろうに……」「事務所やジャニーさんへ感謝の言葉を言える男気のある剛くん。今まで以上に応援したいと思った」と、感激していた。

 ジャニー社長が、事務所を離れた草なぎらの活動を温かく見守ってくれることを願いたい。

最終更新:2017/11/02 15:31
Okiraku 2
ジャニショ行くたび交差点で涙ぐんじゃう!