レゴランド低迷が示す「ディズニーランドが強い理由」! 消えたテーマパークの失敗例
次に中島氏は、新潟ロシア村や四国ニュージーランド村、とうほくニュージーランド村など、諸外国にスポットライトを当てたテーマパークの“ダメだった点”を次のように解説する。
「こうしたテーマパークはコンセプトがはっきりしているため、テーマパーク経営のノウハウに乏しい初心者でも作りやすいんです。その国にある特徴的な建築物を作って、民族衣装や民族レストラン、民族料理、民芸品を用意し、現地の民族音楽をBGMとして流せばいい……と考えているのでしょうが、初心者である分、失敗してしまう。気軽に海外旅行に行ける人も少なかった時代は、こうした外国村・外国フェアの需要もあったかもしれませんが、どんどん格安で海外に行けるようになったので、客足が遠のいたのでしょう。それに最近では、トルコ料理やブラジル料理など、多国籍料理店を街中でよく目にするようになりましたし、海外がより身近になっています。05年開業で、08年にスピード閉園した名古屋のイタリア村は、テーマパークというより複合商業施設とイタリア料理フェアという感じでした」
テーマパーク経営に明るくない人でも、その分野に進出できる背景には、「ジェットコースターやメリーゴーランドといったアトラクションを売り、組み立てまでやってくれる企業が存在しています。『いくらあれば、これだけのアトラクションが作れます』というパッケージ販売なので、資金さえあれば、思ったより簡単にテーマパークができるんです」という。
さらに、コンテンツを有する会社がテーマパーク産業に前のめりになりすぎて失敗した例も。95年、松竹大船撮影所の敷地内に建設されたものの、98年に巨額の赤字を出して閉園した鎌倉シネマワールドがそれだ。『男はつらいよ』等のセットを実物大で再現したゾーンが目玉となっていた。
「『男はつらいよ』というヒットコンテンツを持っていた松竹が、創立100周年事業として建設した“映画を体感できるテーマパーク”でしたが、あっという間に経営難に。100周年に合わせなければと、素人集団が開業を急いでしまったことが失敗の要因だと経営陣が記者会見で述べたと、『日経流通新聞』(98年5月7日、15頁)に掲載されていました。それでも、開園当初は、中高年~お年寄り層が結構来場し、お土産を購入して帰っていくパターンが多かったそうです。ただし、アトラクションに乗るタイプのテーマパークではないので、来場も1回限りが多かったはず。さらに96年には、寅さんを演じた渥美清さんが亡くなった影響で、来場者が激減したといいます」
さまざまな要因によって、潰れていったテーマパーク。しかし中には、危機に瀕しながらも復活を遂げたテーマパークもあるという。後編では、レゴランドがぜひ参考にしてほしいテーマパークを紹介する。