元グラビアアイドル、元歌手……落ち目のタレントを愛人にするのも「ヤクザの甲斐性」
今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。
■ヤクザの夫と愛人との関係
「ママー、さっきパパが駅前で知らないお姉さんと歩いてたけど、『ママには黙ってて』って1万円くれたから、半分こしようよ」
上の娘が高1くらいの時に、こう言ってきたことがありました。
「ふうん、どんなお姉さん?」
「浜○あゆ○に似てたー」
「そうなんだー。ありがとう。お金はいらないから、晩ごはんは、お父さんにナイショで、みんなでおいしいもの食べに行こうよ」
「マジでえ? お鮨がいいなー」
「行こう行こう」
娘たちとの関係は、当時も今も良好です。私も極妻ですから、それはそれはいろいろありましたが、家族を第一に考えてきました。若い衆が同居していた時代には、娘たちの寝食は基本的に私の実家でさせながら、なるべく一緒にいる時間を作っていました。もちろんPTA活動もがんばりました。でも、この時、実は「まだアユさん(仮)と付き合っとったんか!」と、はらわたは煮えくり返っておりました。
アユさんは、地元のキャバクラで有名な美人さんでした。モテるのはいいけれど、お客さん同士が彼女を取り合ってトラブルになることも珍しくありませんでした。アユさんも内心は迷惑だったと思いますが、なんだかオッサン同士が自分を奪い合うのを面白がっているようにも見えました。
今思えば平和なお話です。実際、バブル期から90年代の半ばくらいまでは、全体的にノンビリしていました。今は何かにつけて世知辛いですね。ただ、オットは一応「親分」といわれる身ですから、そういう低レベルの争いには関わってほしくなかったのです。
もちろん「ほかにも美人さんはいっぱいいるのに、よりによって」的なことは言いたくなかったので、放置していましたが、たまに若い衆がコッソリ言いつけてくれました。若い衆も心配だったのだと思います。
ちなみにアユさんは、その後に自殺未遂騒動を起こして、故郷に帰られたと聞いています。モテすぎるのも大変ですね。