夫の部下と自宅で交わる妻の本心――視点の異なるセックスの面白さを描く「藪の中の情事」
セックスに理由を付けるのは野暮である。なぜなら、その行為の真実は存在しないからだ。一方が相手の愛撫に愛情を感じて悦びに浸っていたとしても、その相手は、まったく別の人を考えながらセックスをしているかもしれない。自分ではない相手を思い浮かべて感じていたとしても、その真実を知る術はないのだ。
今回ご紹介する『花びらめくり』(新潮社)は、著名作家の名作を花房観音らしい官能の解釈で掘り下げた5作が収録されている短編集である。中でも筆者が引き込まれた作品のひとつ「藪の中の情事」は、芥川龍之介の名作『藪の中』を元にした作品だ。
作中に登場するのは40歳前後の平凡な夫婦、そして、その夫の部下である30歳の男性だ。
ひとり暮らしで栄養が偏りがちな部下に、少しでも良いものを食べさせたいと、上司である夫は自宅に部下を定期的に招いていた。元栄養士である妻は彼らのために夕食を作り、腹いっぱい食べさせ、男たちは食後に2人で晩酌をする。
部下が上司の自宅に数回招かれたある日、いつものように男2人でビールを飲んでいると、上司は酔い潰れてうたた寝をしてしまった。妻が寝室へ夫を運び、リビングには部下と妻の2人きりになってしまう。そして後日、ふたたび2人きりになった時、部下と妻はリビングで肌を重ねてしまうのだ。
物語は3人それぞれの視点で語られる。
犯したわけではない、自分は誘われたのだ、という部下は、夫を寝室へ運んだ後の妻の様子をなまめかしく語る。部下を見つめる時のいやらしい瞳や、ソファに並んで座る時に密着する膝、部下の股間に置いた手――今まで交際してきたどの女とも違う、男を狩る肉食動物のような妻の手中にはまり、部下は妻を抱いてしまった、と告白する。
しかし、妻の言い分は部下のものとは真逆であった。いやらしい目をしてきたのは部下の方である、私は無理矢理、彼に犯されたのだと、彼らの現場を目撃した夫に言う。確かに自分たち夫婦はセックスの回数が少なく、それすらも満足できるものではなかった。だから夫とセックスをする時には、ほかの男性を思い浮かべたり、夫がいない間にこっそりと自慰に耽ることもあった。しかし部下を誘ったつもりはない、勝手に自分に欲情して押し倒したのは彼の方だ、と。
そして、2人の一部始終を覗き見していた夫が感じていたこととは――。
三者三様の言い分があり、それぞれが微妙に食い違い、真実がぼやけてしまう。しかし、その曖昧さこそが真実であり、「セックス」という結果を生み出すのである。
人はセックスをする時に明確な理由を持つものだろう。好きだから、愛しているから、奪いたいから、体が疼くから、誰でもいいから――その理由は決して双方が一致するとは限らない。激しく乱れ合う2人であっても、その理由はひとつではない。
裸で交わるという原始的でいやらしい行為も、心はすれ違っているかもしれない。そんなセックスの面白さをこの作品は表現している。
(いしいのりえ)