“仕事が結婚か”に悩む平野ノラ、江原啓之の「倍、頑張る」というアドバイスに抱いた違和感
番組名は失念したが、かつて松岡修造が現役時代を振り返って、“ツアー中の精神的な孤独がいかにきついものか”を話していたことがある。それは、世界の頂点が見えてきた錦織も同じだろう。そんな時に恋人にそばにいてほしいと思うことは、自然なことである。錦織のそばにいたら、観月は、芸能活動ができなくなるわけだから、錦織がカネを出すのは、当然ではないだろうか。記事を読むと、観月が錦織のカネで豪遊する性悪であるかのような印象を私は受けるが、私には観月が悪いようにはまったく思えない。それでは、どうして観月が悪者にされているかというと、「オンナの苦労は美徳」であるのに、「苦労をしていないから」ではないだろうか。
記事の中にこんな記述がある。慶應義塾大学日吉キャンパスを訪れた錦織は、炎天下、先輩であるテニスプレーヤーの伊達公子とラリーをしていたそうだ。その最中、観月は「1100万もする高級車ジャガーの後部座席で涼んでいた」とのこと。記事からは、世界の錦織の彼女たるもの、練習中に自分だけ涼しい場所にいてラクをするのは言語道断、自分も一緒に戦うつもりで練習を見届けるべきという彼女像が透けて見えた。
「フラッシュ」(同)によれば、観月がこんなに悪く言われるのは、元彼女の評判がとてもよかったかららしい。元彼女は、早稲田大学スポーツ科学部出身の元アスリート。栄養学や運動生理学に詳しく、錦織を常に立て(タオルやドリンクを持って数メートル後ろを歩いていた、錦織のために徹夜でマッサージをしていたなど)ており、錦織の両親にも可愛がられていたという。自分のことは二の次にする典型的なアスリートの彼女と言えるだろう。
けれど、錦織はそんな彼女と別れ、「苦労しない」観月を選んだ。観月の売名説や、錦織の周囲が交際に反対しているとも言われているが、交際が続いているところを見ると、相性がいいのだろう。何が言いたいかというと、オンナが苦労せず、ラクをしても仲の良いカップルはいるとうことだ。
平野に話を戻そう。そもそも平野は「結婚できないキャラ」でもアイドルでもないから、結婚したから仕事が減るとは考えにくい(もし減るとしたら、それはバブルネタが飽きられた時だろう)。また本当に「家事が得意でないから」結婚に躊躇しているのだとしたら、外注すれば即解決である。つまり、今の平野に必要なのは、仕事(とそこから得る経済力)なのである。他人のために2倍の努力をするよりも、自分が売れることを第一に考えて稼ぐ方が、結婚に対するハードルを下げることになるわけだ。
私が会社員だった頃、周囲はバブル世代だらけだったが、ロスジェネ世代の私から見たバブル世代は「苦労しなかった人たち」である。バブルをネタにする平野も、無駄な苦労を背負わず、突き進んでほしいものだ。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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