老後問題とセックスが絶妙に絡み合う「婦人公論」は中高年の“パンドラの箱”
さて、老後の安心に続きましては、これも高齢化社会の1つのテーマではないでしょうか。巻末特集「人生に必要な性と愛」。お久しぶりのセックスネタです。「誰かに寄せる想い、肌を交えることでしか得られぬ温もり、そして快感。そんなものとはしばらくご無沙汰……という女性も多いものですが、生きることと直結するあの感覚、思い出してみませんか」とはリードの弁。はて、生きることと直結するあの感覚とは……。
画家で女優の蜷川由紀が、恋人である作家の猪瀬直樹についてアツく語る「猪瀬直樹さんは、私を導いてくれるウェルギリウス」、みんな大好き読者体験手記「あの“快感”が私を変えた」、「アブノーマルな世界にはまる妻たち」ルポも読み応えあります。夫との性交は3回のみ、悩んだ末にネットの世界に性愛を求めた真面目な主婦、絶倫夫との義務としてのセックスに疲れ、指圧師のテクに溺れた女性、「ゼンタイ(全身タイツ)」で、セックスとはまったく違う快感をおぼえる妻、クンニのプロから開発されたり、禁断のNTR(寝取られ)プレイにハマったり……。
一通り読みますと、いかに「夫婦」という形式が、「人生に必要な性と愛」と相性が悪いのかを思い知らされます。だいたいが夫婦での淡泊なセックス、もしくはセックスレスから始まってるんですもん。「性愛」の対象を法的に1人と定めた結果のしわ寄せがこの特集には溢れているといいましょうか。こちら、読者体験手記から抜粋すると、
「そうだ、私の身体はおかしくなっていたのではない。倦怠期だからではない。何かを見失い、忘れていたのだ」
「彼の手が肌に触れると私の全身はシャンパンの泡のように弾けていく。感じるたびに、私は岩のような塊ではなく、花も実もつける豊饒な大地になれるのだと信じることができた」
など、夫以外とのセックスは「傍目には幸福な母親」を性の表現者に変えるよう……。泡になったり大地になったりの大騒ぎです。これがいいことなのか悪いことなのかはわからない、そもそも「婦人公論」はそういうジャッジはしない媒体ですからね。
そんなことを考えながら、特集最後のページ、高齢者の坂爪真吾による性についてのエッセー「『死ぬまでセックス』の呪縛にどう向き合うか」を読んでいたらこんな一文が。「認知症を発症する前は、敬虔なクリスチャンであり、夫は公的機関で重職を担っていました。長女も福祉施設の施設長であり、次女と孫は学校の教師をしている」という87歳の女性が、「認知症になってからは人前で『おっぱい!』『まんこ!』といった性的な言葉を連発するようになった」「笑いながら人前で『おっぱい!』と叫んで胸を露出する」とのこと……。抑圧されていた何かが、認知症をきっかけに、それこそシャンパンの泡のように弾けてしまったのか。性の帳尻合わせの恐ろしさにちょっぴりゾッとした次第です。
「老後の面倒をみてと子どもには言えない」も「女が性的な発言をすべきでない」も、根っこは同じなのかもしれません。本音よりも、社会における自分の見え方を優先した生き方。ジェンダーという檻の中である意味安全な生活を送るのか、本音というパンドラの箱を開けてしまうのか。中高年女性は選択を迫られているのではないでしょうか。
(西澤千央)