離婚後、3.11を機に大阪に移住。昨年、8年ぶりに元夫に助けを求めた【別れた夫にわが子を会わせる?】
――大阪に来てからの生活はどうですか? そうやって移住してきたママたちの間での連帯はありますか?
「原発事故のせいで私はここにいると思って、最初は反原発デモとかに行ってたんです。だけどやっぱり置かれた状況が一人ひとり違うし、ちゃんと帰れる家があるのに勝手に避難してきた人たち、しかも東京から。そういう負い目みたいなものを勝手に感じていましたし、デモに行くと、またいろんなことを言う人がいるじゃないですか。放射能をものすごく気にするお母さんにとっては、東北・関東は汚染地帯なので、その場所で農作物を作る、それが流通する、流通した場所まで汚染される……という理屈がありました。
私の実家は茨城県で、農家出身の父は家族が食べる分だけの野菜を畑で作っていたので、そのことを話したら、『そういう人がいると、その食べ物が流通して、日本中が汚染されるんだよね!』と言われ、まるでうちの父が悪人のように言われていると感じました。その人たちにはその人たちの生活があるということには思い至ることもなく、『子どもを守る』という名目で、多くの人を傷つけるような言動をしているのが、ものすごく疑問でした。これは、そのとき自分がとても弱っていたから、なおさらだったと思います。それでぐっさりと傷ついて、そういうところには行かなくなりました。なので、反原発関連のママ友はもう誰もいないです」
――息子さんとの生活はどうですか?
「大阪に来て6年たって、息子は中1になりました。本当に、あっという間でした。3.11後の移住という急な動き、関西というまったく縁のない土地への順応と仕事探しと生活を整えるのに必死で、息子への離婚後のケアは全然できてませんでした。
経済状態は相変わらずで、思春期に差しかかってきた息子の鬱憤がそこに表れることもありました。彼が欲しいものを『いや、うちは買えないから』と言うと、『おまえが離婚したせいだろ』とか言って、壁を蹴ったり、それを止めようとして私が攻撃されたりもして……。離婚だけのせいじゃないとは思うんですが、言葉にできないいら立ちみたいなものが、すごく出てきているんです」