夫に「殺す」と言われて1年後、息子を守るため自己破産して離婚【別れた夫にわが子を会わせる?】
――結婚したのはいつですか?
「23歳のとき。相手は2歳年下の同僚の運転手で、Aという人。Aも尾崎のファンやし、結婚中はずっと仲が良かった。でもな、子どもが出けへんかったんやわ。それで、うちが30歳のころ、『ちょっと実家に行ってくるわ』ってAに言われて。淀川の反対側にある実家に行って、そのままこっちに帰ってけえへんかった。今考えたら、たぶん女ができたんやと思うわ」
――お子さんができたのは、次の結婚ですか?
「そう。離婚して1年ぐらいしてから、居酒屋でよく顔を見かけてたBと再婚した。2つ年下のとび職。うち、子ども産むのあきらめてたんやけど、Bと同棲し始めて2~3カ月で妊娠したんやわ。
Bの父親がとび専門の会社の社長で社員寮とか持ってて、経済的に問題なさそうやった。ところがその会社、借金だらけやってん。額にすると300万円ぐらい。そんなこと妊娠してからわかってもなあ。遅すぎやで。
借金の理由? 仕事を安く請け負って、その分が回収できんかったのか、Bがパチンコやスロットにハマりすぎたのか、理由ははっきりわからん。そやけど結局は借金への心配よりも、妊娠したことのほうがうれしかったしな、なんとかなるやろうって思って腹をくくって、結婚してん。と同時にローンで3階建ての家買うて、その後に息子を産んだんやわ」
――出産後の暮らしはどうでしたか?
「息子を保育園へ送り迎えしながら、生命保険の外交員として働いてた。夕方、仕事を終えると買い物をして、夕食の支度をして。そんなんで毎日ヘトヘトや。それでもBがねぎらってくれたらやる気が出るんやけど、実際は逆やった。
例えば、うちが仕事で帰宅が遅れて夕食の準備ができなかったとするやん。そんなんでBが帰ってきたときなんか、態度が顔に出るねん。途端にムスッとして、『なんでご飯できてへんのや!』って威圧感のある声で、毎回言われたで」
――Bさんは、家事や子育てには協力的ではなかった?
「全然。おむつ替えとかミルク、お風呂に寝付かせとか、子育てはほとんどうちがやってた。関わらへんというBの方針は徹底してて。うちが40度の熱出したときも完全にノータッチ。『明日の午前中、病院行く間だけでも、この子見てて』って必死に言うたんやけど『仕事あるから無理』って。木で鼻をくくったような感じで片付けられた。そういうの、ほかにもあって、夜泣きしたときなんか『やかましいんじゃボケ。明日朝から仕事やねんから黙らせろ』って吐き捨てて、布団にもぐり込むんやで」
――「黙らせろ」とか、すごいこと言いますね。
「そやろ。毎日、そんなふうに言われたら、ホンマ心も体もおかしくなるで。そのうち、体が条件反射するようになった。夕方、Bが帰ってきただけで、気分がドヨンと落ちたり、過呼吸とか、脈がいきなり140くらいまで速くなって目まいがしたり。あとは、冷や汗がばっと出たり。加えてバセドーっていう目が飛び出たりする病気にもなったしな」
――そんな中で育てられたお子さんは、大丈夫だったんですか?
「Bの叱り方が変やったわ。Bは“おいた”をした3歳の息子を正座させて、やったらあかん理由も言わんで『なんでしたんや。なんでしたんや。なんでしたんや』って、ずっと言い続けたり、息子を持ち上げて『わかってんのか!』みたいな感じで揺さぶったり。それ見て、この人ちょっと違うかもって思った」
――三面記事になりそうな、虐待につながりかねない話ですね。経済的には、どうだったんですか?
「ずっと、きつかった。息子が保育園の年長さんになるくらいのときか。どうも生活が回らないようになってしもうた。それこそ一番ひどいときは、米以外の食費を月1万円で回さなあかんぐらいお金がなくて。なんとか食べていくのがやっとこさで、自分の病院も行かれへんかった」
池脇さんへの心理的な圧迫、長男への間違った“しつけ”、そして困窮。それでも彼女はやりくりのため通院を我慢。その結果、バセドー病が悪化してしまった。