夫に「殺す」と言われて1年後、息子を守るため自己破産して離婚【別れた夫にわが子を会わせる?】
『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第2回 池脇あやのさん(仮名、40代)前編
「不安神経症にパニック障害、うつにぜんそく、加えてバセドー。いろいろ併発してて、朝昼晩と毎日すごい量の薬飲んでる。でも飲まへんと生活できひん。元気なときはトラックの運転手やってたんやけどな」
池脇あやのさんは3度目の離婚の後、住み始めた2K風呂付きの木造平屋のダイニングでそう話した。調子こそ悪そうだが、目鼻立ちは整っている。壁に何枚もポスターが貼られていることから、尾崎豊の大ファンであることが見て取れる。
昭和の臭いが濃厚に残る大阪府K市。高度成長期に建てられた木造モルタル2階建ての住宅が迷路のように密集している。生活保護率が全国平均の約3倍と貧しく、庶民的で、そして人情深い。そんなK市で生まれ育ち、結婚し、子を産み、育ててきた池脇さん。生活保護を受けながら、彼女はどうやって2人の子どもを育ててきたのか。
■2度の結婚の経緯
――結婚する前の生活を教えてください。
「中学校を卒業した後、ビデオの組み立てラインの仕事をやってた。その工場では自分が一番若いから、みんなに気を使わなあかんし、どんどん忙しい部署に回されるしで、精神的にしんどくなってしまった。しまいにはベルトコンベアが揺れて見えだした。さらには神経がいかれて電車にも乗れんようになった。自律神経失調症っていうのになったんや。
見ての通り、うち尾崎豊のファンやねんけど、音楽の機材運ぶトラックってあるやろ。『そのうちあれを運転してみたい』って思ってな、トラックの運転手になったんや。20歳ぐらいのころやな。体の調子悪いから親には心配されたけど、結果オーライ。運転の仕事をする分には人付き合いはせんでええから、精神的な負担が少なくて、自分に向いてたんやわ。
最初は2トン車に乗って、コンビニの制服とかのリネンを運んでた。その後は先輩からいただいたデコトラで、鮮魚を市場へ運ぶようになった。電飾ギラギラの紫色のあんどんがついてる4トン車で、ビュンビュン走り回ってたんや。トラック野郎みたいやろ? いやあ、あのころ、ほんま楽しかったわ」