南沙織を追って箱崎インターチェンジへ! ベテランレポーターが語る「40年前のスクープ泥棒事件」
「わからないこともないが、ずるいな」というのが、私の感想だ。
「週刊新潮」(新潮社)が、自社の中刷り広告を「週刊文春」(文藝春秋)に“パクられ”、「スクープを潰された」という特集を組んで3週間がたった。毎週、同じ曜日に発売される「新潮」「文春」のスクープ合戦は、雑誌の売り上げに関わってくるだけに熾烈なものだ。「新潮」の中吊り広告は、締め切りタイムリミットの数時間前に出版物の取次業者に渡る。それを「文春」側の人間が借り出してコピーをし、社に持ち帰り、記事の差し替えをしたというのが「新潮」側の言い分。特集記事には、「文春」側の人間がコンビニで中吊り広告をコピーする姿もバッチリ写っていて、それを貸し出した取次業者もその事実を認めている。
「文春」側は、「『情報戦』は、さまざまな形で新聞やテレビなどのメディアも行っています。『週刊新潮』の記事では、あたかも『週刊文春』が自らのスクープ記事を盗んでいるかのように書かれていますが(中略)そうした事実は断じてありません。(中略)私たちにとって、スクープとは、極めて重い言葉です」と反論しているが、コピーを持ち帰って“検討”はしていたのだろう。
「新潮」の記事が事実で、「スクープを横取りされた」と感じた記者いたなら、その無念は、計り知れないほど大きい。私も、スクープを“スクープじゃなく”されたことがある。いまから約40年前のことだから、古い話だが。
私が「週刊女性」(主婦と生活社)の記者だった1978年、歌手の南沙織さんが芸能界を引退した。理由は、同年に入学した上智大学での学業に専念するため。しかし、引退の本当の理由は、極秘交際していたカメラマン・篠山紀信さんとの結婚だったのだ。
篠山さんは、南さんの歌手デビュー以来、シングル、アルバムのジャケット写真を撮影しており、2人の仲は徐々に深くなっていったという。交際情報を掴んだ私は、引退して2週間後、婚前旅行でヨーロッパへ向かう南さんを、東京・箱崎インターチェンジでキャッチした。成田空港で、篠山さんが待っているのはわかっていた。南さんは結局、私の質問にはまったく答えずに無言で立ち去ったが、その表情は幸せに満ちあふれていたものだ。そしてその8カ月後、2人は東京のレストランで極秘挙式を挙げる。そのとき、南さんのおなかには、長男が宿っていた。
そんな中、私がスクープするはずだった、2人のヨーロッパ婚前旅行の記事が盗まれたのだ。同じ日に発売される芸能誌に、まったく同じ記事が掲載された。箱崎には、私しかいなかったのに、その記事は、あたかも南さんを直撃したような内容で、しかも、私が南さんに感じた印象まで、そっくりそのまま記事になっていたのだ。“やられた”と思った。編集部なのか、印刷所なのか。ゲラ刷りが、相手側に渡ってしまったのだ。このときの悔しさは、私の頭から消えることはない。
「新潮」の記事に、ビックリはしない。けれど、「発売部数に影響していたら死活問題」と、過去の悔しさを思い出してしまったのだ。
石川敏男(いしかわ・としお)
昭和21年11月10日生まれ。東京都出身。『ザ・ワイド』(日本テレビ系)の芸能デスク兼芸能リポーターとして活躍、現在は読売テレビ『す・またん』に出演中。 松竹宣伝部、『女性セブン』(小学館)『週刊女性』(主婦と生活社)の芸能記者から芸能レポーターへと転身。