DV夫とは関わりたくない。でも、子どもに会えなくてつらい気持ちは想像できる【別れた夫にわが子を会わせる?】
シェルターの生活に耐えかねた倉橋さんは、ほかに落ち着き先を探すことを決意する。
「私はシェルターのスタッフに『引っ越し先を探したいから、パソコンとWIFIルーターを返してください』とお願いしました。その結果、1週間ほどでシェルターを出させてもらえることになったのです。そして、そのまま引っ越し先に考えていた土地へ移動し、安いホテルに子どもたちと滞在し、そこで家が見つかるまで過ごしました。
私たちのように1週間で退所するというのは、特例の措置のようでした。通常、裁判所から保護命令(DV加害者が被害者へ近づくことを禁止する命令)が出るまでシェルターで過ごすので、2週間くらいは出られないそうですから。私はシェルターでの生活がこたえたのか、ホテルに着いてすぐ、熱を出して寝込みました。気合で1日で治しましたが、体重は激減していました。
現地では、すぐに市役所に連絡し、経緯を説明して、いろいろと相談に乗っていただきました。こんなときに頼りになるのは、やっぱり役所ですよね。
仕事の面接なども並行してやっていたんですが、ノマドワーカーは大変ですね。履歴書ひとつ送るのも大仕事です。スーツもメイク道具もなかったですし。そんなこんなで、やっとこさ、アパートを契約しました。預金が300万円ある証明書を銀行からとれれば、無職でも契約できるというD社(建設会社を兼ねる賃貸大手)で決めたのです。前に住んでいたアパートは両親に鍵を開けてもらい、引っ越しの見積もりと立ち会いも両親に頼みました。予想外に高い引っ越し料金でしたが、仕方がありませんでした」
■長びく係争
一方、別離を突きつけられた夫はその後、どういった行動に出たのだろうか?
「私と子どもが家を出るとすぐ、夫は財産隠しを始めました。カードの盗難届を出して、私が持っているカード類を使えないようにしたんです。そうやって私や子どもたちを兵糧攻めにする一方、自分は贅沢をして遊んでいたそうです。とにかく家に戻ってきてほしかったということなんでしょう。
そんな夫に対し、私は離婚調停と婚姻費用調停(別居中の生活費を分担するための調停)を起こしたのです。復縁する気は、まったくありませんでしたから。早く関係を清算したかった。すると夫は夫で、面会交流調停を起こしてきました。夫はずっと『子どもに会わせろ』の一点張り。それしか自分に主張できることがなかったせいもあると思います。
調停は1カ月に1回くらいでしょうか。居所がバレては困るので、会わせるのは無理だと思っていましたし、子どもも夫と会うことを嫌がっていました。しかし裁判所は長い期間会わせていないという、調停の記録しか参考にしないですからね。子どもが嫌がっているというこちらの意見は完全にスルーで、意味がありませんでした。調停にしろ、後の審判にしろ、会わせなければいけない雰囲気でした。
調停を重ねるうちに、私のほうも少しは折れることも必要かなと思うようになりました。調停を始めて3回目くらいのときでしたか。『調査官立ち会いの下でなら会わせます』と言ったんです。家に帰ってそのことを子どもに伝えたら、大ブーイングでしたけどね。それでも、『もう決まってしまったから』と子どもたちを無理やり次の調停に連れていき、別れてから初めて、子どもを夫に会わせました。
調査官は面会の様子を見て和やかだと思ったようですが、子どもたちの心は別のところにありました。内心、夫に気を使っていて、『触られるのも嫌だったけど断れず、つらかった』と後から言われました。調査官は、そんな子どもたちの本心を見抜けていませんでした。これが、後の審判に影響することになり、大きな失敗でした。
夫のほうは一貫して『毎月、面会交流をさせろ』と主張していました。それに対し私は『年3回(春休み、夏休み、冬休み)なら、なんとかできると思う』と答えました。しかしこれも失敗でした。実際には、夏休みと冬休みは子どもが忙しくて難しい。遠いので宿泊も必要なんですが、その時期は宿も取りにくい。でも、このときの調停の記録が審判にも影響してしまい、後に年3回の面会ということで審判が出てしまいました」