“痛み”でエクスタシーと生を覚える年代――今あらためて『蛇にピアス』を読むことの意味
思春期から大人への過程に感じる、言葉にできないやるせなさは、誰しも多少は経験があるだろう。心とは無関係に、勝手に大人へと成長してゆく体と、自身を取り巻く環境の変化に気持ちが追いつかず、そのもどかしさをどうにか解消させようとする人も少なくない。そんな時、一番手っ取り早い方法がセックスである。好きでもない男と簡単に寝たり、何人もの男と関係を持ったりすることで、心の平穏を保とうとする女性もいるだろう。
今回ご紹介する『蛇にピアス』(集英社)は、今さら説明するまでもない2003年発売の大ベストセラーである。今から15年近く前、金原ひとみがわずか20歳で芥川賞を受賞した本作は、世間の注目の的となった。金原氏と同年代である19歳の主人公に共感した若者は、大勢いるだろう。
舞台は渋谷。主人公のルイは登録制のアルバイトをしながら、あてのない毎日を送っていた。ある日ルイは、体に刺青を入れ、蛇のように舌先が分かれている“スプリットタン”を持つ男・アマと出会う。彼に「身体改造をしてみないか」と勧められたルイは、身体改造だけでなく彼にも興味を持ち、すぐに肉体関係を持って恋人となる。ルイは、アマに連れられてきたシバと呼ばれる店長のいる店で、舌に穴を開ける。その瞬間、エクスタシーに似た恍惚感が彼女を襲った。
ある日、とある暴力団員が死亡したというニュースが流れる。その男はアマが絡まれて殴った男で、ルイはその男の歯を「愛の証に」と、アマから受け取っていたのだ。暴力を振るうと制御がきかなくなるというアマを、ルイは心配する。
一方で、ルイはシバの店で刺青を入れる準備をしていた。シバがデザインした麒麟の刺青を入れてもらった日、彼女はシバに抱かれた。サディスティックなセックスを好むシバに激しく抱かれながら、ルイは、もし自分が死にたくなったら、アマかシバのどちらかに殺してもらおうと考える。
さらにルイは、舌に入れたピアスを徐々に大きくして、スプリットタンを作ろうと試みる。そのピアスを大きいものに付け替える瞬間に激痛が走り、生きていると実感をする。そんな矢先、アマがルイの前から姿を消すことになるのだが――。
冒頭からラストまで虚脱感と苛立ちに満ちた本作は、まるで死にながら生きているようなフワフワとした印象がある。思春期の頃に感じた、どうしようもない憂いを蘇らせ、他人事とは思えない。
「痛みを感じる時だけ生きていると実感できる」とルイは言う。自己を確立できていない若い頃は、人と触れ合うことで、心地よさより、自分自身の価値観や存在が揺らぐという恐怖を感じる場合も多い。それだけに、ルイのように自分を傷つけ、痛みを感じることでしか、自己を認識できない時もある。年を重ねると自分の輪郭をきちんと自覚できるようになり、楽になるのだが……。
今あらためて本作を読んで、そんなこと感じてしまった。当時、ルイに“共感”していた読者は、今何を思うのか。本作は、自分がどう変わったのかを知ることができる作品なのかもしれない。
(いしいのりえ)