バカリズムの「自己顕示欲を斬る芸」に抱く、「なぜ標的は女性だけなのか?」という疑問
芸能人が「自己顕示欲の塊」だとするのなら……
例えば、元グラビアアイドルでタレント・尾崎ナナ。移動中と思われる画像をインスタグラムにアップするとともに、「今日は出る一時間前にアラームで起きたのに、ソファで40分座ったまま寝てしまい、20分で用意。結局バタバタ」「準備に時間がかけられなかった」ことを説明する。しかし、画像からは、身支度のぬかりは感じられない。バカリズムはこの投稿を「典型的な『そんなことないよ』待ち」と分析し、そんなまわりくどいことをせず、“自己顕示欲開放中”というハッシュタグをつけて、可愛さをアピールしたらどうだと提案し、観覧客を笑わせていた。
ここで疑問に思うのが、バカリズムのターゲットが、なぜ女性芸能人“だけ”なのかということである。芸能人は男性だけではないのに。バカリズムの言う通り、芸能人が「自己顕示欲の塊」だとするのなら、バカリズムがネタを作ること、披露することも自己顕示欲と言うことができるだろう。バカリズムが面白いネタを作るのが仕事であるように、女性タレントが毎日SNSに投稿して、可愛い自分をアピールし、新たなファンを作るのも仕事なのである。“同業者”なら、そのへんの事情を理解してもいいのではないだろうか。
結局のところ、自己顕示欲にかこつけてはいるが、バカリズムは自分が女性のペースに合わせるのがイヤなだけなのではないと思えてくる。生きていれば、男女問わず、本意でなくても「そんなことないよ」と声をかけなくてはいけない場面に遭遇するはずだ。にもかかわらず、それを拒むのは、バカリズムの中で「このオレがオンナに合わせるなんて、オトコとして恥ずかしい」という不必要な自意識を持っているのではないだろうか。
以前、この連載で、オードリー・若林正恭のことを「自信がなさそうなフリをして、上下関係にこだわる」と書いたことがあったが、私にはバカリズムも同じ系統に見える。「オンナの味方なフリをして、オンナを下に見ている」のだ。2人とも、「女の子苦手」を自称し、こじらせているように見せかけて、中身は昭和のガンコ男。平成生まれの女子には理解できないのではないかと推察する。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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