いまバブル文化がウケる理由は? ディスコは「盆踊り」、ペンシルスカートは「ボディコン」
肩パットバキバキの真っ赤なスーツとソバージュヘアという強烈なビジュアル、そして、バブルをキーワードにしたネタを繰り出す女性ピン芸人の平野ノラが大ブレークしているが、1980年代後半のバブルの頃に一世を風靡したカルチャーが、再び注目を浴びている。
■ディスコ時代は、盆踊り感覚で同じダンスを楽しんだ
平野がブレイクした理由を「ディスコの人気再燃など、バブル文化復活の兆しが追い風になった」と分析するメディアもある。そうしたリバイバルブームの中でも大きな盛り上がりを見せているのがディスコだ。東京タワーのディスコイベントをはじめとした催しが成功しているが、その中心にいるのは40代以上の大人たち。2月に放送された『マツコ会議』(日本テレビ系)で六本木の伝説のディスコ「マハラジャ」に潜入した際も、懐かしいダンスを楽しんでいたのはアラフォー、アラフィフのバブル謳歌組だった。
ブームから30年近くたった今、再び彼らがディスコに通う理由を、『ディスコの力』(PHP研究所)の著者で、ディスコブーム再燃の立役者のひとりであるDJ OSSHY氏はこう分析する。
「団体戦を楽しんでいるという感じでしょうか。個人戦よりも“団体金”の喜びの方が大きい、みたいな。抽象的な言い方ですが、あの頃は『ダンスフロアでの一体感に安心感を得ていた時代』であるといえます。それは、踊りであり、手拍子であり、聞きたい曲をリクエストカードに託す思いであったり、みんなで誕生日の人を一緒にお祝いするひと時であったり……。ディスコ時代は、楽曲に“振付”がある曲がたくさんありました。だから盆踊り感覚で、『この曲はこの踊り』『このサビでこの手拍子』のような“お約束”があって、みんなで同じ遊び方をした。それが楽しかったんです」
90年代以降は個が尊重される時代になり、十人十色、多種多様なニーズに対応する店舗やDJスタイルのクラブに移行していった。OSSHY氏によると、クラブは「俺の選曲を聴け!」的な、上から目線のスタイルが主流だという。
「ディスコは、お客様が踊ってくれてナンボの評価です。だから、DJは『サービス精神』が前提で、お客さんのリクエストに応えていました。カッコ良くてとんがったクラブに行って卑屈に低姿勢で過ごすより、気持ちよくサービスしてくれるディスコの方が、居心地がいいのかもしれませんね」(同)