タイ語学校の学生からステップアップで現地社長に! ゴルフ三昧で優雅に暮らす女性【日本を捨てる女性たち】
近年、東南アジアに移住し、現地で仕事や生きがいを求める日本人女性が急増している。アジアで活躍し、日本にいるときよりも、はるかに生き生きと暮らす女性たちを紹介していくシリーズ。
○第3回
のりこさん(42)タイ・バンコク在住
会社経営
■「この気楽な国ならやっていけるかもしれない」
バンコク都心部、スクンビット通り。日本人をはじめ外国人がたくさん住む高級住宅街の一角に、のりこさんの住むコンドミニアムがある。一流ホテルのようなフロントから上階に上がれば、そこにはのりこさんがバンコク生活で築き上げてきた「城」がある。
広大なリビング、システムキッチン、キングサイズのベッドが鎮座する寝室、おしゃれな調度品……ベランダからはバンコク中心部の摩天楼が見晴らせる。タイに移り住んだ日本人女性でも、ステップアップを重ねて豊かな暮らしを手に入れた、彼女は成功者といえる。
「タイに来たのは1999年。もう18年目になります」というから、在タイ日本人社会の中でも古株のほうだ。
「海外に対する憧れは子どもの頃からあったし、英語を勉強するのは好きでした。海外に行きたい、と思ってもいましたが、アジアは考えてなかったな」
短大時代はオーストラリアに旅行に行ったり、アメリカでホームステイも経験したが、大きな転機は父親のタイ赴任だった。
「駐在員としてタイに暮らす父を訪ねる機会が増えたんです。初めてのタイは、今と違ってどこも汚いし、雑然としていて、こんなの私の求めてた海外じゃない! って思っていました。でも、タイののんびりした、あくせくとしなくてもいい空気に、次第に居心地の良さを感じるようにもなってきて……」
その頃、短大を卒業して、日本のホテルで働いていたが、人間関係に悩まされていた。温和な性格からか、誰かの文句や愚痴の聞き役になることが多く、ストレスをためこむ毎日。とうとう体を壊した。
少し休もう。そう思って、父のいるタイに4カ月ほど長期滞在をすることにした。
「父の食事を作って、ぷらぷらするうちに、この国にちゃんと住んでみようか、この気楽な国ならやっていけるかもしれない、と思うようになっていったんです。そう決めてすぐ日本に帰り、また働き始めて移住のためのお金をため、タイ語学校に通って……タイに戻ってきたのは25歳のとき」
まずはバンコクの語学学校で、半年以上タイ語を学んだ。学校つながりで長年付き合える友人を得ることが多いというが、のりこさんも同様だった。
「いまでも仲のいい日本人の友達は、同じタイ語学校の仲間なんです」