「姉弟間のセックス」「放尿シーン」も……団鬼六、容赦ないSM描写で女性を輝かせる手法
“いやらしい女”は、時として聖女のように神々しく感じられる。快楽に順応し、恥を捨てて「気持ち良い」と叫ぶ姿は、どんな何物にも代えられないほど圧倒的に美しいと思う。
そんな女性の震えるような美しさを教えてくれたのが、官能小説家の大御所・団鬼六氏である。それを引き出すために、鬼六氏は2011年に死去するまで、あらゆる手法で、ねちっこい陵辱描写を書き続けてきた。今回ご紹介する『鬼ゆり峠』(幻冬舎)も、上下巻にわたり鬼六節が炸裂し、耽美なSM世界を繰り広げている。
江戸時代、浪路とその弟の菊之助は、父親の仇を討つために“鬼ゆり峠”を訪れていた。浪路は美しい容姿を持つ武士の妻であり、また剣の名士でもあった。2人は、ヤクザたちの手にかかり、陵辱されたのち、浪路の陰核と菊之助の陰茎を切り取るという残虐な処刑にかけられそうになる。
2人は、あらゆる手法で弄ばれる。縛られ、言葉で罵られるだけではない。尿意を極限まで我慢させられ、足を全開にして放尿を強いられる。浪路は、その様子をヤクザたちに嘲笑され、号泣する。
姉と弟同士での愛撫、また肉体関係を強要され、弟が姉の尻に挿入するという衝撃的なシーンもある。浪路は、ついに女中・千津と女同士の関係も強いられるようになる。それぞれの性器を愛撫しあううちに、千津は浪路を愛していることに気づく。千津は醜い男たちの目の前で裸を晒しながら、浪路に愛撫をされ、快楽と喜びを感じてしまうのだ。
このように、鬼六氏のSM描写は容赦がない。浪路は徹底的に男たちに辱めを受けるのだが、一方で、そんな薄汚い男たちに晒しものにされればされるほど、輝くのである。
浪路は、肉体的ではなく、精神的に追い込まれていたと思う。SMというと、肉体的な痛みを伴うイメージが強いが、この作品では、どちらかというと、延々と弄ばれ、蔑まれる浪路の精神面にこそ目がいき、そんな中でも家名を守るために凛と耐え忍び、さらには快楽を得ていく姿は、逆に男たちを弄んでいるように見える。だから、彼女を美しいと感じてしまうのではないだろうか。鬼六氏が書く女の逞しさは、SMという物語を通して、さらに神々しさを増すのかもしれない。
(いしいのりえ)