映画レビュー[親子でもなく姉妹でもなく]

老女の夢を二人三脚でかなえる年下の女――年齢を越えた関係を描く『マルタのやさしい刺繍』

2016/10/30 19:00

 マルタの息子で牧師のヴァルターも、妻帯者の自分がリージの娘シャーリーと密かに不倫していることを棚に上げ、夫を失った老いた母の心機一転をこっぴどく批判する。それらの一つひとつにへこみ、くじけそうになるマルタをリージは励まし、放置されていた店内を共に片付け、自ら下着の試着をし、刺繍を手伝い、やがて村で初めてのランジェリーショップが開店する。

 生きる目的を取り戻し、久方ぶりの下着制作に四苦八苦しながらも、だんだんと明るく生き生きしていく老女の表情がすばらしい。1人で赴いた街の生地屋で、「いいものばかりをお選びですね」と言う店主に、「ランジェリーショップを開くの」と、うれしそうに告げる顔。真剣な眼差しでミシンを踏み、仮縫いをチェックするプロの顔。繊細なレース生地を扱い、色とりどりの糸で細かい手刺繍を施す皺だらけの職人の手。

 マルタに大きな変化が訪れるのと呼応するかのように、フリーダやハンニも、それぞれの環境の中で起きていた問題に積極的に関わり始め、新しいことに挑戦し、やがて相次いでマルタの店を訪れて味方になるのだ。  

 表向きはマルタに反発していたフリーダたちだが、彼女の行動は夫の死を乗り越えるためだということを感じ取り、それに内心勇気づけられてもいたに違いない。歳を取っていてもその気さえあれば、何かを始めるのに遅過ぎるということはない。そのことを、この3人の老女は体現している。

◎女が老女に重ねた「自分の姿」
 老女の再出発を、その息子たちはまったく理解しない。パブに集まる村の男たちも同様だ。彼らは、ランジェリー=いやらしいもの、いかがわしいもの、取るに足らないものという考えから動かず、そこにどんな高度な技術やセンス、つまりは文化が息づいているのかを、見ようともしないのだ。


 男たちの価値観を内面化している村の女の多くも、マルタに冷淡。内心ランジェリーに興味を持っていても、フリッツに遠慮して入店できない始末で、ショップは開店早々存続の危機に陥る。

 そんな最中、マルタを支援し続けるリージに立腹したヴァルターは、皆の前でリージが過去を偽っていたことを匂わせる。渡米するという夢を追い求めて生きる中で、リージは理想と現実を混同させていた。どうしてもかなうことのなかった夢は彼女の中に棲みつき、やがてその発現の場所をマルタのランジェリーショップに見だしたわけだった。むしろ、見果てぬ夢に生きる人だったからこそ、自分より一回り以上も年上の女性が大きな夢に向かうのを応援したかったのだろう。だが、マルタがそのことをしみじみと噛み締めている頃、リージは心臓発作で急死してしまう。きっかけを作りずっと背中を押し続けてくれた最大の友人が失われた時、マルタは店を諦めないと決意する。

 もしこれが、リージが年上、マルタが年下なら、わりとありがちな話だろう。後輩や教え子に重要な示唆を与え、挫けるなあきらめるなと励まし続ける頼もしい年輩の女性。彼女は自分がかつて夢みたことを年下の者に託して亡くなるが、彼女の教えを胸に年下の女性はさまざまな危機を乗り越え、夢の実現に邁進していく……。おそらくリージは、もう1人のマルタなのだ。いくつになっても夢を捨てない女、誰が何と言おうと素敵だと思ったものを素敵だと言い、自分の欲望に忠実な女。リージはそんな自分の姿を、80歳の老女の中に、この上なく純粋なかたちで見いだしたのだ。
 
 お客が来なくて落ち込んでいたマルタに、リージは、この地方の伝統的な模様を下着に刺繍し、通販で売ることを提案する。パソコンを習ったフリーダがホームページを開設していた。リージが亡くなり、客も来ず、もうこれまでかと思われた折、ネットを通じて大量の注文が届けられ、マルタは老人ホームの刺繍クラブの面々の協力も得て、大車輪で仕事をこなしていく。敵ばかりだった中で、味方の顔もはっきり見え始める。

 物語の定石通り、示唆を与え励まし支え続けた者は、主人公の夢の実現を見ることなく去るが、その喪失が逆に主人公を奮い立たせ、さらに周囲を巻き込み、膠着していた事態が大きく動いていくのだ。

◎世代を越えて女たちを結ぶ気持ち
 リージの死後、人々が押さえつけていた欲望がどんどん明るみになっていくところも面白い。マルタは息子ヴァルターの私的問題を厳しく指摘し、ヴァルターは上辺を取り繕って生きることをやめる。フリーダは、パソコン教室に誘ってくれた紳士に心を開く。ハンニは横暴な息子フリッツと対決し、夫のために自動車免許を獲得する。


 大団円は、村を挙げての合唱祭の場面だ。散々自分を侮蔑し、明に暗に攻撃していたフリッツに一矢報いたマルタは、村人たちから喝采を受ける。店に賭けるマルタの思いは徐々に人々の中に浸透し、いつのまにか形勢は逆転していた。

 美しく贅沢なものを愛し、それを作ったり手に入れたりする夢を、いつまでも持ち続けていい。何歳からそれを夢見てもいいのだ。孤立無援の中で夢をあきらめなかった老女と、彼女を明るく支え続けた年下の女性。「グリーンスリーヴス」のメロディをバックに、マルタの深いグリーンの瞳と、リージの明るいグリーンの瞳が、同じ夢を見ている人の輝きに満ちて交わされるシーンは、美しく贅沢なものへのあこがれが、年齢を超えて女性を結びつけ、思いがけない活力をもたらすという真実に触れている。

大野左紀子(おおの・さきこ)
1959年生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。2002年までアーティスト活動を行う。現在は名古屋芸術大学、京都造形芸術大学非常勤講師。著書に『アーティスト症候群』(明治書院)『「女」が邪魔をする』(光文社)など。近著は『あなたたちはあちら、わたしはこちら』(大洋図書)。
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最終更新:2019/05/21 16:46
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美しい下着を自分のために身に着けるのよ