摂食障害は病気ではなくて性格!? 「瘦せ姫」たちが異常に“瘦せ”にこだわるワケ
■太っていることは喜劇、痩せていることは悲劇につながる
――先日、デザイナーのハヤカワ五味さんが、細身女性向けのワンピースブランドを立ち上げました。今まで、ぽっちゃり女性向けのブランドや雑誌はありましたが、痩せている女性に特化した服や雑誌は聞いたことがありません。著書には、一般のサイズの服が着られず、肩幅やウエストを自分で詰めて着ている痩せ姫の話も載っていましたが、細身女性向けブランドができるのは、痩せ姫にとってうれしいことなのでしょうか?
宝泉 僕としては、どちらかというと、喜ばしいことだと思います。だけど、ぴったりと合う服ができたことがうれしいことなのかというと、また違います。何を着てもぶかぶかで、合うサイズの服がないことが痩せている証拠となっているので、合うサイズの服ができたことで、もっと頑張って痩せないといけないと、ハードルが上がる人もいます。ただ、多様性を認め合うことが生きやすさにつながることはあるので、太った人向けの服があるならば、逆に痩せている人向けのブランドがあるのは、多様性の展開としては良いと思います。
――では今まで、世間は太っている女性への理解はあったということですか?
宝泉 太っていることの問題は、明るく考えられがちなんです。痩せは悲劇につながり、太ることは喜劇につながります。痩せていることで笑いを取っているコメディアンもいますが、基本的に女性芸人は、太っている人が圧倒的に多い。逆に、メロドラマが似合うような女優は、痩せている人が多い。喜劇的なものに関して世間は軽くやっていけるのですが、痩せていることは笑いにつながらず、「気の毒だ」と言われます。企業がブランドを展開していく中で、ぽっちゃり向けというのは明るくプレゼンできるんです。しかし、すごく痩せている人のためのブランドとなると、非常に慎重になってしまう。そういうブランドができるから、痩せすぎる病気の人が増えるんだと批判が出ることもあります。
■少数派にしかないものを武器にしていけばいい
――今、摂食障害に悩んでいる人に、伝えたいことはありますか?
宝泉 摂食障害の人は、「痩せたい」という思いと「健康体になりたい」という思いが目まぐるしく入れ替わっているので、全体論では語りにくいんです。世間からは「なんで普通に食べられないの?」と追い込まれがちで、多数派になろうと思っても、簡単にはなれずに苦しんでいます。これはよく言われることですが、協調性や器用さが不足している分、自分だけの感性や、不器用に何かを突きつめる力はあることが多いので、少数派はそっちを武器にしていけばいいと思います。
瘦せ姫になる人たちは、そういう適性を持ったタイプなのだとわかるだけで、プラスになります。病気ではなく性格である、自分を表現した結果が瘦せ姫という体形や感性だと捉えると、生きやすくなると思います。または、「とても重い病だけど、頑張っている私はすごい」と捉えるかです。普通の人は、なかなか極端な方面には走れないのですが、瘦せ姫たちは極端に走れる能力があります。日本人は普通であることや平凡であることをよしとしますが、非凡さもあるはずだと捉えてもいいのではないかなと思います。
(姫野ケイ)
エフ=宝泉薫(エフ=ほうせん・かおる)
1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌「よい子の歌謡曲」発行人を経て「週刊明星」などに執筆する。また健康雑誌「FYTTE」で女性のダイエット、摂食障害に関する企画・取材に取り組み、95年に『ドキュメント 摂食障害―明日の私を見つめて』(時事通信社/加藤秀樹名義)を出版。2007年からSNSでの執筆も開始し、現在、ブログ『瘦せ姫の光と影』などを更新中。