摂食障害は病気ではなくて性格!? 「瘦せ姫」たちが異常に“瘦せ”にこだわるワケ
昨年から、減量を目的としたトレーニングジム「ライザップ」が大流行中。テレビや雑誌などでは、日々さまざまなダイエット法が紹介されています。“瘦せ”を求める人が多い現代ですが、度を過ぎた“瘦せ”にこだわる摂食障害の方もいます。
そんな摂食障害の生きづらさを綴った『瘦せ姫 生きづらさの果てに』(KKベストセラーズ)を8月に上梓したエフ=宝泉薫さんは、摂食障害の女性たちのことを、書籍のタイトルでもある「瘦せ姫」と表現し、“瘦せ”を肯定することで生きやすくなる人もいると説いています。20年以上、摂食障害をテーマに取材を続けてきた宝泉さんに、瘦せ姫たちがなぜ痩せにこだわるのか、彼女たちがどんな心情なのかを聞きました。
■痩せることで、生きづらさと直結する異性関係から逃れられる
――宝泉さんは、摂食障害の女性のことを、著書の中で「瘦せ姫」と呼んでいますよね。瘦せ姫たちはSNSに痩せ細った自撮り写真をアップしているということだったので、私も実際に検索してみたところ、多くの瘦せ姫たちのアカウントが見つかり、つい投稿に見入ってしまいました。彼女たちは、自分の痩せた姿を他人に見てもらいたいのでしょうか?
エフ=宝泉薫さん(以下、宝泉) SNSに写真をアップするのは、承認欲求ですよね。一般の人でもSNSに投稿する動機はさまざまで、「いいね」がほしくて投稿している人もいるし、悪目立ちをしたくて投稿している人もいます。ところが、瘦せ姫の場合は、もっと極端なんです。「痩せていて羨ましい」という評価がほしい人もいれば、「痩せすぎて気持ち悪い」「怖い」といった批判が評価につながる人も中にはいるんです。
痩せることがアイデンティティになっている場合、自分が特別でありたいという思いがエスカレートしていき、気持ち悪がられたり怖がられたりしないと安心できなくなってくる。世間一般の承認欲求とはイメージが違います。一般のレベルからはるかに遠い痩せた姿をしていることによって、いろんなものから逃れられるんです。
――いろんなものとは、何から逃れたがっているんですか?
宝泉 典型的なのが異性関係です。つまり、痩せすぎて気持ち悪がられる姿をしていれば、性の対象にならない。もっと言えば、痩せすぎてホルモンバランスが崩れ、生理がない状態。そうなると、恋愛や結婚、出産などを迫られなくて済みます。恋愛や結婚、出産といったことは、生きづらさに直結しているので。
――痩せた姿をSNSにアップした際、瘦せ姫同士で「私の方が痩せているからすごい」といったマウンティングが行われることはあるのでしょうか?
宝泉 どんな世界にも格差と差別は生じます。痩せの程度もそうなんですが、自分は症状をコントロールできているとか、痩せすぎているけどきちんと会社に行っているとか、千差万別です。SNSの承認って、「似ているね」という共感を求める部分と「私は誰よりもすごい」とアピールする面で使われている部分があります。瘦せ姫たちのマウンティングも、いわゆるOLやママ友の間で行われるマウンティングと、実質的には同じだと思います。
■“瘦せ”により安心感を得ているので、簡単には治せない
――現代の痩せ姫たちはSNSで承認欲求を満たしているということですが、ネットが発達していなかった、今から15年以上前の瘦せ姫たちは、どこを心の拠り所にしていたのでしょうか?
宝泉 昔は、承認欲求を得るチャンスが非常に少ない時代だったと思います。どちらかというと、家族や知人といった、リアルな関係に向けて発せられていたのではないでしょうか。家族に嫌がられるとか怖がられるとか、そういうことで痩せすぎているんだと確認する。あるいは、街を歩いてヒソヒソ言われるとか。でもそれは、生活の流れの中でしかできません。家族に目を背けられたり、人に指をさされたりすることはあっても、自分をアピールできるわけではない。現在はSNSができたことにより、不特定多数に広くアピールできるようになりました。
――瘦せ姫たちは、摂食障害を治すと承認欲求が満たされなくなってしまうと思うのですが、治したいという気持ちはあるのでしょうか?
宝泉 例えば、これが糖尿病だと、「一生治らないから、インスリン注射などで病気とうまく付き合っていきましょう」という指導がなされます。ところが、摂食障害は本人も家族も治したいと思いますし、医者も治すのが仕事なので、「なんとか治して社会復帰しましょう」となります。そのレールに乗れる人もいるのですが、乗れない人もかなりいる病気だといわれているんです。
簡単には治らない、もっというと、治したくない人もいる。治るとは、一般の人たちと同じことをすることです。痩せすぎているために免除されていることが、健康体に戻ると、再度押しつけられるようになる。押しつけられると、再度痩せるか、別の症状を発するしかなくなってしまうんです。世間的に見て病んでいる状態で何らかの安心が得られているのに、その安心がなくなってしまう。痩せていることの安心感が、生きづらさからの救いになっているんです。