ヴィジュアル系バンドマンのセフレになりたくて追いかけたJK時代の話
みなさんは、“バンギャ”にどのようなイメージを持っていますか? かつて私は、このイメージにだいぶ苦しめられました。
「ビジュアル系が好きだったよ」
そう言うと、たいてい返ってくるのは、
「バンギャだったの?」
という返答。その言葉の端には、「バンドのメンバーとヤッたりしたんでしょ?」という思いが見え隠れするんです。それもこれも全部、矢沢あいの名作マンガ『NANA』(集英社:未完)のせいなんですけど……。
世の中には、バンギャへの大いなる誤解が存在します。追っかけていればメンバーとヤれる? そんなワケないじゃないですか! みんながみんな、バンドのメンバーとヤレるだなんて思わないでほしいんです! ヤリたくてもヤレるわけないんだよこんちくしょう!(他のヴィジュアル系好きの方々も、そう思ったことありませんか!?)
遡ること20年前の中学2年生当時、実家近くのCDショップ・新星堂でたまたま目にした黒夢のアルバム『feminism』のジャケットで、儚げに口を半開きにする清春に一目惚れした私は、その日から彼の虜になりました。
同作はもちろん、8cmシングルやインディーズ時代のCD(ミニアルバム。驚きのタイトルは『生きていた中絶児』!)から、『SHOXX』(音楽専科社)や『FOOL’S MATE』(フールズメイト)などのヴィジュアル系専門誌を、お年玉貯金の通帳(母がぬか床に隠していた)からこっそり切り崩し、収集。黒夢の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)登場時には緊張のあまり唾液を飲み込めないほど喉がカラカラになりました。少しでも情報を求め『HOT WAVE』(テレビ埼玉)を毎週観るように。
ときはミスチル全盛期。黒夢が好きと告白すると集まるのは、スカートの長いヤンキー系の先輩方でした。なかでもLUNA SEA好きの先輩と仲良くなり、休み時間のたびに、
「これ、さっき授業中にINORAN描いたんだけど……」
と恥ずかしそうに似顔絵を見せる先輩に、
「似てます! カッコイイ! 次の時間は清春も描いてください!」
とリクエストするなど、それは充実した日々を過ごしていました。
清春のラジオにリクエストハガキを出し、読まれた日にはラジカセの前でひとり赤面身悶えし、卒業文集の将来の夢の欄には「清春とFRIDAYに載る」と書き、推薦入試で早めに高校が決まっていたため文集の表紙イラストを描くことになったときには、恥も外聞もなくLUNA SEAのJの似顔絵を描いたものです(同級生のみんなにはどうか表紙だけ破り捨てていてほしい)。ちなみに、高校入試の面接では「尊敬する人は河村隆一です」と澄んだ瞳で言い放ったことをたった今思い出して、胸が苦しくなるばかりです。
客観性のないヲタ丸出しの言動ですが、当時は“おたく”といえば“宅八郎”とか本気で気持ち悪い人の蔑称でしたし、まだ「ヲタ」が一般化されていない時代ゆえ、こうした行動が「ファン」の範囲で見られ、許されていたのかもしれません。
◎やっぱり、出会えない
高校入学、世界はもちろん広がります。なんたって、中学時代は禁止されていたライブに行けるようになったのですから!
入学してすぐ、同じクラスで唯一マリスミゼルを知る者同士として仲良くなったA(二軍選手のカキタレを目指して奮闘した処女たちの話参照)を、さっそく黒夢のライブに誘うとOKとの返事! ですがまだ、できたてほやほやの友情です、Aは前日に「風邪を引いたから」と無念のドタキャン。母親が迷惑そうな顔をして寝る横で、「清春さーーん!」と全力で叫んだ市川市文化会館での黒夢ライブを、私は一生忘れることはないでしょう(涙)。
この頃になると、世間ではGLAYやL’Arc~en~Cielが大ブレイク。hydeが『ポップジャム』(NHK)に出演した際、司会の太田光から“ヴィジュアル系”と紹介され、「俺たちはヴィジュアル系ではない」と激怒して番組をボイコットした、なんて尖った逸話もあったほど、ヴィジュアル系とJポップの境目が曖昧な“ヴィジュアル系黄金期”が到来しました。
おのずと興味はよりインディーズに潜り、ここで私は他のヴィジュアル系とは一線を画す(と思っていた)楽曲とライブパフォーマンスを誇る、PIERROT(ピエロ)に出会います。
原宿のヴィジュアル系インディーズ専門CDショップで過去のアルバムを全て買い、ファンクラブにも入会。主戦場はまだライブハウスでしたから、チケットはそれはもう取りにくかったのを覚えています。
あるとき、ライブ情報をチェックしている、なんとチケットを取り逃していた、ヴィジュアル系が一堂に介する『SWEET TRANCE』という公演が武道館にて3日後にあることが判明。いまだライブに行けていなかった私は、すがる思いでファンクラブのファン交流電話のメッセージを聞きました。これは、誰かがメッセージを残すと、それを順番に聞いていけるという、簡単に言うとツーショットダイヤルみたいな仕組みですね。
「チケット、1枚余っています。一緒に行ける方、連絡待ってます」
なんと! チケットがあるというメッセージが! すぐにツーショットに持ち込み、当日、九段下の駅前で待ち合わせ。彼女は20歳、名前を「美羽(みはね)」さんといいました。名刺ももらいました。ホラー漫画フォントに、蝶のイラストを施した、黒地に赤の名刺です。
これが噂の“ライブネーム”と、その名刺かーー。初めて触れるリアルなヴィジュアル系文化に、ちょっと気恥ずかしくも憧れもありました。
年齢は違えど目線は同じ。私たちはすぐに打ち解け、以来、美羽さんとライブに行くようになりました。彼女の話は、とても貴重なものでした。もっと小さいライブハウスでやっていた頃の話。その頃はまだ打ち上げにも参加できた話。お互いに好きだったヴォーカル・キリトの地元での話。そしてなんと、キリトのプライベートの話!
「あいつ、朝が弱くて、よくモーニングコールを頼まれるんだよね」
すごい! すごい! さすが20歳の大人! まるで私もキリトのプライベートを共有しているかのようで、胸がいっぱいになったものです。
さてピエロがメジャーデビューすると、ファン層に変化が見られるようになりました。私よりも若い子や、黒い服を着ていない子が増えたのです。
私はライブのチケットが取れなくても、会場から漏れる音を聞きたいのと、少しでもキリトを見たいからと、出待ちや入り待ちをしていました。そこに同じように来ている子たちと話すようになると、
「元々、松潤担だったんだ」
「コスプレイヤーもしてるよ」
なんて言うのです。なんと、ジャニーズやヲタ界隈からもファンが侵食するようになったのです。当然、美羽さんは面白い顔をしません。が、美羽さんよりも彼女たちのほうが年が近い私は、彼女たちとも行動を共にするようになりました。
ある日、いつも群馬から来ていた女子高生の愛紗(あいしゃ)と戒音(かいね)から、音楽専門学校のライブに誘われました。
「このライブに、シークレットゲストでピエロが来るかもしれないんだって! はるちゃん、一緒に行こうよ!」
(※私はネーミングセンスがないので、ライブネームは作りませんでした)
ライブに出演予定なのは、金髪だけがとりえといった風情のしょっぼい無名バンドだったのですが、ピエロも来るかもしれないのなら話は別。しかもその話、私たちしか聞きつけていないのか、会場はガラガラ! まるでピエロと私たちのプライベート空間!
が、そんな期待は脆くも崩れ去り。退屈な演奏が終わると、会場からは終了のアナウンス。ピエロの影すら見えませんでした。ガセネタにまんまと騙されたのです。
「あーあ、誰だよ、行こうって言ったの」
「私は最初からガセネタかもって反対したよね?」
愛紗と戒音が喧嘩をはじめます。
「はるちゃん、一緒に帰ろう」
「いやいや、うちとご飯食べてから帰ろうよ」
喧嘩をやめて、ふたりを止めて、私のために、争わないで、もうこれ以上ーー。とばかりに、愛紗と戒音の喧嘩は激化。最終的にふたりは泣いてしまい、キリトと同じような目の周りを黒くメイクしていた戒音は、漆黒の涙を流していました。そして漆黒の涙を流したまま3人でJR高崎線に乗り、無言で揺られ、帰路についたのです。
そんなこともすっかり忘れた数カ月後、ピエロファンが心待ちした野外ライブが富士急ハイランドにて行われました。美羽さんほか、愛紗や戒音などと一緒にツアーバスで現地へ向かいます。道中、またしても美羽さんは、キリトの話を披露してくれました。しかも今回は写真つき!
「これ、キリトのプラベ写真なんだ」
チラリと私だけに見せた写真を、愛紗たちも見逃してはいませんでした。
高校生の私たちはライブ後はバスで帰る予定でしたが、大人な美羽さんだけが近辺のホテルをとっていました。
「休んでいいっすか?」
会場付近に着くや、愛紗と戒音は美羽さんのホテルに押しかけると、群馬から持ってきた荷物をどっかりとベッドに置き、横たわります。渋々承諾した美羽さんを横目に、きゃっきゃうふふとふたりの世界。そして私にも手招きすると、こう言いました。
「さっきのプラベって言ってた写真、あれ、原宿の生写真屋で見たことあるよ(笑)」
ぷーくすくすくす。ふたりがわざとらしく笑うと、美羽さんはなにかを察したように気まずそうに、部屋の隅に立ち尽くしたままでした。
ライブが始まっても、美羽さんは心なしか元気がありません。なんなら涙目になっているではありませんか。あんなに好きなキリトが目の前にいるのに、美羽さんも、そして私も、心に枷がついたように、自由に動けなくなってしまったのです。
ライブ終了後、私たちはバスに乗り、美羽さんはホテルへ。それが美羽さんを見た最後の姿でした。後日、原宿の生写真屋に行くと、知りたくなかった現実が、そこにはありました。
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いかがでしたでしょうか。これが“バンギャ”の真実です。どこにバンドのメンバーとヤレる隙がございましょうか! どこに出会うきっかけがありましょうか! これ以降、私は野球選手(二軍)のカキタレになって処女を捨てたいという野望を抱くようになるのですが……それはまた、別のお話。
数年前、アイドルの卵を撮影中、「昔、ヴィジュアル系が好きだった」と言うので、「私も好きだったよ! 黒夢とかピエロとか」と言うと、はい出ました!
「えー、うちキャバもやってんだけど、清春さんに指名してもらってるよ。なんか気に入られてるらしくて。めっちゃ紳士だよ」
清春の奥様も元ホステスだったかと思いますが、やはりこういう展開なのです。ファンが悲しい嘘を重ねている間にも、清春もキリトも可愛い女の子とパーッとしたいですよね。そんな世の摂理に、処女は一体、いつ気づくのでしょうか――。
■ 有屋町はる
AVメーカー広報、実話誌編集を経てフリーライターに。現在は週刊誌にて、中年男性目線の芸能記事やピンク記事を中心に執筆中。U15アイドル周辺が好き。