性犯罪者が犯行時に目の前の現実をどう捉え、何を考えていたかを知る/「性犯罪は男性の問題である」対談・後篇
映画『月光』はレイプシーンの生々しさ以上に、心から血を流し、声にならない声で叫びつづける被害者の姿と、そこからの回復が印象に残る映画だった。監督の小澤雅人氏は、高畑裕太による強姦致傷事件に関する一連の報道をみて、被害者に対する想像力があまりに欠如していると指摘する。
精神保健福祉士・社会福祉士である斉藤章佳氏は、東京・榎本クリニックで性犯罪加害者の更生プログラムに10年前から従事し、それによって再犯率が比較的高いといわれる性犯罪を1件でも減らすことを目指している。
両氏の対談、後篇は9日報じられた高畑裕太の不起訴処分から話がはじまった。
▼対談前篇は、こちらから。「性犯罪はなぜ起こる? 加害者性・攻撃性は男性全般に共通するパーソナリティだ」
斉藤章佳さん(以下、斉藤)「強姦致傷では起訴されるのは、全体の約3~4割と言われていて、そのほとんどが示談で終わります。つまり、被害者の多くが泣き寝入りしている可能性があると想像できます」
小澤雅人さん(以下、小澤)「それ以前に、性犯罪は被害を受けた女性が訴え出ないことがほとんどですよね」
斉藤「はい、被害届を出すのは全体の15~20%と言われています。だから裁判までいくのは、ほんのひと握りではないでしょうか。そうなってしまう原因のひとつに、被害者にとって裁判員裁判のハードルが高すぎることがあげられます。“強姦致傷”は裁判員裁判で争われますから、国民から選ばれる6名の裁判員に、事件の内容を詳細に知られることになります。場合によっては、生い立ちなどまで明らかにされます。それが被害者にとって、どれだけ苦痛か。おまけに、裁判員裁判は長期間に及びます。これが“強姦”だと職業裁判官による裁判になるので、致傷の部分だけ取り下げ、強姦だけで争うケースもあります。でも、一般的に強姦致傷より刑が軽くなると予想されます」
どちらにしても、被害者はジレンマにさいなまれる。
斉藤「被害者は自分が受けた被害や痛みを、裁判のなかで正当に評価されないのが現状です。そもそも示談金の額が多くても、被害者の受けた傷は報われません。その女性はこれからずっとその性被害というトラウマの苦しみを背負っていくからです。かたや加害者は示談などで不起訴になった場合、罪を背負って生きていくとはいえ、履歴書上に傷はつかないので、普通に働くことができます。人によっては普通に結婚して、普通の家庭を作れるかもしれない。理不尽ですよね。もし起訴されて実刑になっていたら、刑務所内で再犯防止プログラムを受けることになる場合もあります。そういうケースだと、専門的なプログラムのなかでなぜ自分は性犯罪に至ったのかについて振り返る機会を得ます」
そして示談になったことで、事件の内容は被害者本人が何らかの方法で公表しないかぎり一切表に出てこないことになる。
小澤「そうなるとこの一件も単なる芸能ゴシップとして消費され、そのまま風化しますよね。高畑裕太氏に関するこれまでの報道を見ていて僕は、被害者への想像力が圧倒的に欠如していると感じました。その苦しみに触れない一方で、テレビでよく見る“芸能人親子”には親近感があるからそちらばかりを採りあげる。被害者も、それを見ているかもしれないサバイバー女性たちも、完全に置き去りにされています。『月光』の性被害者、カオリのような存在は全国にいっぱいいるのに」
斉藤「被害者にフォーカスした報道はほとんどありませんでしたね。今回の当事者についてあれこれ報道するのは配慮に欠けますが、被害者を支援している団体に被害の実態を訊くなどの方法があるはずで、それはまだ声を上げられていない人たちへの『相談する場所がある』というメッセージにもなり得ますが、私の知るかぎりではそういうアプローチはテレビや雑誌においてはほとんど見られませんでした」
小澤「取材といえば、『月光』について取材に来てくれたのはすべて女性の記者さんたちでした。男性はひとりもいなかった」
斉藤「そうなんですよ、私に性犯罪について取材に来るのも、いつも女性向け媒体の方々です。メディアにいる男性にとって性犯罪は“自分たちの問題”ではないのですね。高畑裕太氏についてはテレビや雑誌などから取材の申し込みがありましたが、“性欲の強さと性犯罪の関連性”といったピントのずれた内容だったのでお断りしました」
◎性犯罪を「点」でなく「線」で見る
小澤「加害者を報道するにしても、僕が知りたいのはその背景です。彼だって、映画の撮影中にそんなことをすればどうなるのかはわかっていたはず。それでも一線を超えてしまうほどに、彼は何らかの葛藤やストレスを抱えていたのか。“加害”というものを社会が理解するためには、その検証が必要だと思います」
斉藤「たしかに。そして、彼らの“認知の歪み”にも、もっと迫らなければいけませんね。性犯罪者の多くにこれが見られるわけですから」
斉藤氏は、“認知の歪み=性的嗜癖行動を継続するための、本人にとって都合のいい認知の枠組み”と定義している。
斉藤「仮に高畑氏の事件に関して実際に報道内容が正しかった場合、彼は歯ブラシを口実に自分で呼んだとはいえ『自分の部屋に入ってきたんだから多少成りゆきで触ってもいいだろう』『有名人の俺とセックスできて相手はうれしいはずだ』など、その瞬間には、必ず目の前で起きていることを自分にとって都合のいいふうに意味変換し、それが正しいと理解しています。だからこそ、行動化できるはずなんです。実際、釈放に際して高畑氏側の弁護士が発表したコメントに『高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高い』とありますよね。その瞬間に高畑氏が何を考えどう現実を捉えていたのか……これを知ることは、今後、私たちが性犯罪の問題を理解していくうえでとても重要です」
小澤「『月光』で性犯罪と性虐待の加害者として登場するトシオも、女性が自分の車に乗ってくれた時点で、何かしらの合意があった、少なくとも相手は拒否していないという、認知の歪みがあったのかもしれません」
なぜ彼は問題を起こしたのか、だけでなく、彼は犯行後何を思っていたのかも今後、語られることはない。性犯罪者は女性を傷つけ、尊厳を踏みにじる行為である。「バレない」と思っていたのだろうか。
小澤「トシオは、行為が終わった瞬間に後悔しています。レイプしたカオリに対しても、性虐待している娘のユウに対しても、罪悪感で心が占められている。現実の性犯罪者たちも、ひとつひとつの犯行に対して後悔はしているのではないでしょうか。ただ、その後悔をさらに上回る何かがあるからこそ、女性への加害が常習化してしまう……」
◎火を消さずに、議論を。
斉藤「まさにおっしゃるとおりで、私が性犯罪の加害者臨床で関わるなかで多く見てきたのが、『これを最後にしよう』と思いながら行為に及び、対象行為後は一時的に罪悪感に襲われるパターンです。けれどそういう、スリルとリスクが極めて高い状況下での犯行だからこその達成感もあるようで、すぐに次の行動への渇望感が高まります。このようなサイクルをくり返すと、いずれ自分ではコントロールできなくなってきます。でも『誰かに止めてほしい』とは思うようで、逮捕されたときの気持ちを聞くと『やっと逮捕された』『逮捕されて安心した』という加害者は少なからずいます。被害者の方々にとっては許しがたいことですが、これが彼らのなかではリアルに起きている心のメカニズムなんです」
高畑裕太は犯行後、「寝ていた」と報道されている。
斉藤「だから私は純粋に知りたいんです。仮に報道のような犯行があったとするならば、彼があのとき、その現実をどう捉えていたのか」
小澤「事件自体はその日に起こったものですが、彼のなかではそれを起こしてしまった原因の種をずっと前から抱えていたのかもしれない。そして彼は自分でも知らないうちに、それを育ててしまっていた……。事件を点ではなく、線で見直したいですね」
斉藤「今回の事件の報道で、強姦という理不尽な性暴力への疑問や怒りの火が胸に点った人は少なくないと思います。他の性犯罪も同様、不起訴になって報道されなくなるにしたがって、その火が消えていくのはあまりにやるせないことです。ここから性犯罪についてもう一歩踏み込んだ『性犯罪者への再犯防止プログラムの必要性』にまで議論を発展させたいですね。そのためにも性犯罪は女性の問題ではなく“男性の問題”であると男性自身が認識し、加害者の実態や被害の残酷さを知ることが、いま求められています。性犯罪者をモンスター化するだけで考えを止めてしまうのは、彼らの罠にハマっているも同然ですから」
◎information
映画『月光』
第32回ワルシャワ国際映画祭・国際コンペティション部門に選出!
同映画が、ポーランドで開催されている、歴史と伝統ある国際映画祭のインターナショナ ル・コンペティション部門にて上映されることになりました。
「性犯罪の捉え方は国によって異なります。この映画を受けての反応も日本とは違ったものになると思うので、楽しみです」(小澤監督)
国内でも引き続き順次公開中! 劇場情報は公式HPをチェック。http://gekko-movie.com/
(構成・写真=編集部)