カルチャー
[女性誌速攻レビュー]「婦人公論」8月23日号

「婦人公論」“家族の死”特集が示した、悲しみだけではない「死」の多面的な力

2016/08/21 16:00

麻理「あれだけ仕事を愛した人だから、最後まで“永六輔”として生きたかったのではないかと」
千絵「麻理の気持ちもわからないではないけれど、私は父が弱っていく姿を見て、“孝雄”で死なせたいとけっこう悶々としていた……」

 「83年の人生のうち70年近くは仕事をしていた」からこそ、最期はそこから解放して、個人として死を迎えさせてあげたいと願った長女。そして「なにより仕事が好きな人だったから」最期の最期まで“永六輔”として死なせてあげたいと思った次女。有名人になると「死」すら個人のものではなくなるのです。

■「生」の業が引き起こす、夢枕体験

 永が「永六輔」として死にたかったのか、「孝雄くん」として死にたかったのか。その答えは永遠に出るものではありません。その答えを無理に出そうとすれば、うさん臭い輩に頼らざるを得なくなる。「化けて出てやる」なんて脅し文句がありますが、愛していた家族なら化けてでも出てきてほしい(もしヒミツ財産があるならそれもついでに教えてほしい)というのも本音ではないでしょうか。

 今回の読者体験手記、テーマはまさにそれ。「夢か幻か!? 目の前に亡き親が」は、「もう二度と会えないと思っていた肉親が、あの世から降臨。不思議体験の裏には、故人からのメッセージが隠されていて」という、ちょっぴりおスピな体験談です。

 63歳主婦は、「3歳年上の姉は幼い頃からとても激しい性格で、3、4歳の頃にひどく殴られて以来、私はつねに姉の奴隷。彼女の言うことさえ聞いていれば無事でいられたからです」といいます。それから何十年もの間、奴隷生活に甘んじていたものの、ふとしたことからその姉と絶縁。姉との確執の結果、姉家族と暮らす実母の危篤の知らせが来ても会いに行けず、死亡の報が届いても葬儀に参列しなかったそう。そしてここからが不思議体験アンビリーバボー。

 「葬儀のあと、なかなか寝付けずにいた私の枕元に母が現れました」。投稿者の女性を背中から優しく抱きしめてくれたお母さん。「『お母さん、私、葬式に行けなくてごめんね』と言うと、『うん、いいよ。朋ちゃんが悪いんじゃない』」。死に際に立ち会えなかったこと、葬儀に参列できなかったこと、それ以外にもこの女性には気がかりなことがありました。それは「苦労ばかりしていた母は、たとえ一瞬でも、幸せだと思える時があったのだろうか」。女性は、母が亡くなる半年前に自宅に遊びに来たことを話題にします。

 「お母さん、この前楽しかったねぇ」
 「ああ、楽しかった」

 この言葉を「きっと母の人生そのもののことを言っていたのだと思います。いろいろあって苦労もしたけど、そう悪くはなかったよ」と解釈した女性。実母になにもしてあげられなかったことを悔やむ娘の夢枕に立ち、慰める故人。このように遺された者の思いを「浄化」するための死もあるのでしょう。

 時と場合によっては、自分にとって都合のいいように「死」の形を変えて受け入れる必要があるのかもしれません。なにより生きていくために。この特集、ただ単にその時の心構えを促すものではなく、「家族の死」が抱える複合的な面をあぶりだしているのだと思います。悲しみだけではない、なにか。誰にも平等に訪れる「死」。常に他人の「死」を引き受けながら私たちは生きねばなりません。自分の「死」を誰かに渡すそのときまで。(西澤千央)

最終更新:2016/08/21 16:00
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