「文化」という階級が女を苦しめる? 『藏』に見る、女たちが手を取り合う困難さ
◎後妻・せきと叔母・佐穂を縛る、男という「家父長制」
烈と佐穂というベストマッチングな2人を間近で見ながら、意造が佐穂を後添え(烈の母)にしなかったのは、若い妻の子どもがほしかったからにほかならない。彼にとっては、娘と義理の妹の情愛より、酒蔵を次いでくれる跡継ぎを作ることが最優先課題。亡き妻の遺言があっても、病弱だった彼女と同じ血が流れるその妹に、自分の子どもを産んでもらう気にはなれなかったというわけだ。
親バカでたまにちょっと気弱なところも見せるこの当主、松方の好演でさほど冷酷な男には描かれていないが、彼の中にあるのは「女は家の繁栄のための存在」という極めて家父長制的な考えだろう。そもそも加穂が早くに亡くなったのも、病弱な上に「跡継ぎを産む」という使命のための度重なる出産で寿命を縮めたのではないかと思えるし、佐穂は娘の養育係からそのまま相談役のようなかたちで据え置きされて、結局独身のままずっと田ノ内家に縛られることになってしまう。
こうした複雑な事情を抱える旧家に、新米芸妓から玉の輿に乗り若干18歳で嫁いできたせきは、楽天的で遊興的な雰囲気を好み、世間知に疎いいささかがさつな女だ。それゆえ、格式ある家風に馴染めず、当初から完全に孤立。先妻の娘にはしっかり者の叔母がついていて、自分が入り込む隙間はまったくない。
「跡継ぎの男の子を生む」という大役をやっと果たし、母として生きるという目的ができたのも束の間、幼い息子が不慮の事故で亡くなり、意造はせきを激しく責めた上に脳卒中を起こして寝込んでしまう。息子を失い、夫との愛情関係にヒビが入ったせきにとって、誰一人として肚を割って話せる相手のいない田ノ内家は、安楽を保障してくれる場ではなく、自分を閉じ込める檻だ。せきも佐穂とは別の意味で、「家」の犠牲者となっているのだ。