同僚・ママ友・姉妹、怖いけど面白い“女の友情”――嫉妬も独占欲も女同士で生まれる
著者の春口氏
――経歴を拝見すると、慶應義塾大学、テニスサークル、大手損害保険会社勤務と、コミュニケーション能力が高い、ポジティブ思考の女性に囲まれていたイメージです。そうした女性とはどう付き合ってきましたか?
春口 居心地の良い場所は人それぞれだと思いますが、私自身はいつでもどこでも地味な集まりの中にいました。親しくなるのは今も昔も、そういえばネガティブな友人が多いですし、ポジティブな人に対しては、「いいなあ」と、ただただ眩しい思いです。
一番身近な存在でいうと、私とは正反対の性格をしている妹のことを、ずっと羨ましく思っていました。誰にでもオープンな態度で、社交的でとにかく明るい。「ありがとう」の根っこなんて掘らないし、黒い根っこがちょろっと見えていたとしても、花の方を見ようとする。私なんて根の黒さに釘づけです。「なぜ、姉妹でこんなにも違うのだろう」という疑問や葛藤は、幼い頃から感じていました。姉妹という、生まれながらにして所属していた女同士の最小単位が、コンプレックスやネガティブ思考を生んだのかもしれないです。
会社員時代、広報部で社内広報誌の編集長をやったことがあります。ひっそり文章を書く仕事だと思って臨みましたが、甘かった。事前の根回しやたくさんの人とのコミュニケーションなどが必要なのに、それらがとにかくヘタすぎる。頑張ったけれど、とことん向いておらず、切ないやら申し訳ないやらの一時期でしたが、同時にたくさんのことを学んで、いろいろ考えるきっかけにもなりました。「物書きになったら?」と先輩社員に勧められたのもこの時期でした。
――その後、30歳で作家になり環境が変わることでご自身に変化はありましたか?
春口 20代までは理想と現実のギャップというか、「こうありたい」と「こうである」が違ったり、「やりたいこと」と「できること」があまりに違ったりしてしんどかったんですが、30代に入って、「人間の器の大きさって生まれつきなのかも」と思えるようになってからは、少し楽になりましたね。今では、良い意味で自分の性格にあきらめがつくようになった気もします。このネガティブ思考は人としてどうかと長年悩みの種でしたけど、どうせなら作品に生かしてやろうという、ある種のポジティブ思考も生じてきています。図太くなっているんでしょうか。でも年を取ることって悪くないと本当に思います。
■友達への独占欲を、大人は理性で抑えている
――本書の最終章には、「トモダチ契約」というエピソードがあります。幼い時は女の子同士のグループを作ったり、「親友だよ」と確認し合ったりしますが、大学生や社会人になるとそれらもなくなっていき、それが母親になると、またグループへの所属欲が増していくように思えました。
春口 友達の独占欲みたいなものは、もともと根本に持っているものなんじゃないでしょうか。
大人になってそういう思いや欲望は理性で抑えられるようになっても、母親になり子どもと一緒にいることで、子どもにつられてむき出しになる側面が、ひょっとしたらあるのかも。実際に子どもを見ていると、自分の小さな時を思い出したり「私もこうだったよな」とおさらいするような感覚になったりします。
ママ友グループの中で自分はどんな存在か。たとえ浮いても気にしなければ楽だろうことは誰しもわかっているけれど、なかなかそうもいかなくて、その時々で必死に振る舞い、バランスを取ろうとします。自分のため、可愛い子どものために、仲良くやろううまくやろうと協調しつつ、でも自分はこうだ、こんなに頑張っていると主張し評価されたい気持ちもある。さまざまな気持ちが両極からグラデーションになっていて、その間のどのあたりで自分は折り合いをつけていくのか、多くの母親は手探りで迷っているのではないかと思います。
――これまで女をテーマに書き続けていますが、女のどういうところに刺激されているのでしょうか?
春口 正直わからないんです。ただはっきりしているのは、男性に対しては一向に妄想が膨らまないということ。例えば女性の集団の中に、ぽんと1人男性が入ったとします。その時に起こる女性たちの現象や、女性一人ひとりの喜怒哀楽、嫉妬や憎悪といった感情の機微みたいなものには興味があっても、ぽんと入ったその男性を描きたいという気持ちは湧かない。私にとって、主役はいつでも女性なんです。
これからも、私が妄想を膨らませて、嫌だなあ怖いなあとワクワクしてしまう対象は、女性であり続けるんだと思います。
(石狩ジュンコ)