年上女が小娘に負けるのは「若さ」ではない――『ベスト・フレンズ・ウェディング』に見る解
――母と娘、姉と妹の関係は、物語で繰返し描かれてきました。それと同じように、他人同士の年上女と年下女の間にも、さまざまな出来事、ドラマがあります。教師・生徒、先輩・後輩、上司・部下という関係が前提としてあったとしても、そこには同性同士ゆえの共感もあれば、反発も生まれてくる。むしろそれは、血縁家族の間に生じる葛藤より、多様で複雑なものかもしれません。そんな「親子でもなく姉妹でもない」やや年齢の離れた女性同士の関係性に生まれる愛や嫉妬や尊敬や友情を、12本の映画を通して見つめていきます。(文・絵/大野左紀子)
■『ベスト・フレンズ・ウェディング』(P.J.ホーガン監督、1997) ジュリアン×キム
年上の女は、なぜいつも負けるのだろう。
童話を紐解けば、王子様と結ばれるのは決まって一番若い女。「シンデレラ」でも「美女と野獣」でも、お姉さんたちは邪悪だったり弱虫だったりという設定で、妹の引き立て役だ。最近でこそ、『アナと雪の女王』をはじめとして年長者と年少者が共にハッピーエンドを迎えるストーリーもある。しかし伝統的には、より若い女が正しく、より若い女が幸せになる。圧倒的にそういう物語の方が多い。なんなのこの法則……と、姉に生まれた私は子どもの頃、残念に思ったものである。
これが恋愛ものになると、ますます年上の女は分が悪くなる。現実でも、男が年増女より若い女を選ぶ傾向は見てとれる。恋愛において、いや「女」において、若さは大きなアドバンテージとなっている。だが、そこで「どうせ男なんて」と言う前に、少し立ち止まって考えてみたい。私が選ばれなかったのは、単に「若くないから」だけだったのか? と。
『ベスト・フレンズ・ウェディング』(P.J.ホーガン監督、97)は、ジュリア・ロバーツとキャメロン・ディアスの共演で話題を呼んだロマンチック・コメディの傑作である。ロマ・コメといえば、好意を抱きながらも互いにつまらない誤解をして食い違っている男女が、すったもんだの挙げ句、誤解が解けて結ばれるという流れが定石。強力なライバルのせいで劣勢になっても、最後に逆転満塁ホームランとなる。
しかしこの作品はロマ・コメでありながら、そのパターンには当てはまらない。物語の冒頭ですでに、若い女が結婚相手に選ばれており、年上の女がいかに立ち回ろうと、その決定が覆されることは最後までない。
では「誤解」はどこにあったのか。さまざまな誤解が描かれるが、最大のそれは、年上の女の中にほとんど無意識に刻まれていた「女は猫みたいに、媚びない方がカッコいい」という浅はかな思い込みだ。
いや、ジュリア・ロバーツは犬的なイメージだし、猫と言うならむしろキャメロン・ディアスの方なのでは? たしかに女優のイメージとしてはそうかもしれないが、この作品では逆なのだ。
猫はマイペースで構いたい時には逃げるし、行動が読みにくい。その割りに、自分の要求は何でも聞いてもらえると思っている節がある。もちろん、だから猫は可愛いのだが、「猫を気取る女」はいただけない。犬は逆に、常に人間の動向を気にかけ、スキンシップを求め忠実さと友情を訴えてくる。その振る舞いは非常にシンプルでわかりやすい。
私の見たところ、ジュリアンは犬だったくせに猫を演じて失敗した女であり、キムは裏も表もない犬の女である。