SMAPを支えた功労者、ファンが見た“神対応”……退社した飯島さんとSMAPのこれまで
――これまで、SMAPのために尽くしてきた人生でしたね。
ジョニー ミッチーとボクが初めて出会ったのは、35年以上前だったよネ。音楽プロデューサーの酒井政利さん(現・酒井プロデュースオフィス代表取締役社長)が「友達の娘さんなんだけど、何か仕事ない?」って、大学卒業したばかりのおとなしそうな女の子を連れてきて。お嬢様っぽいスレてない姿にも驚いたけど、「ジョニーズのことも芸能界のことも、ほとんど知りません」って堂々と言うから笑っちゃったヨ。
ミッチー 事務の仕事だって言われて、正直、お嫁に行くまでの仕事のつもりで気楽に入っちゃったんです。最初は経理やファンクラブの運営をしていたのが、いつの間にかマネジャーをやることになって……。
――SMAPの前身である「スケートボーイズ」が結成されたのが87年。翌88年には光GENJIが、のちに日本レコード大賞も受賞する「パラダイス銀河」で100万枚の大ヒットを飛ばすなど、まさに社会現象化していた頃でした。
ジョニー そう! トレードマークだったローラースケートが大ブームになったから、「滑るもの……次はスケボーだ!」って「スケートボーイズ」を作ってみたの。でもスケボーじゃ、滑りながら歌ったり踊ったりするのが難しくてサ。バックにつくときも、光GENJIの後ろをスケボーで一瞬通過するだけなんだもん。あれはつまんなかったなぁ。
――そもそも発想が安易すぎるんですよ! そうしてスケートボーイズの中から6人を選出して「SMAP」が結成されたわけですが、当時の資料を見ても、稲垣くんや草なぎくんの代わりに国分(太一)くんや坂本(昌行)くん、岩佐克次くん(芸能界を引退)が加わっている日もあったりして、流動的でしたよね。
ジョニー そうだっけ? 忘れちゃった。まあ、人数同じならたいして影響ないし、気づかれないかな~って。
――適当すぎますよ!
ジョニー だってサ、あの頃は、光GENJIだけじゃなくて、男闘呼組が「DAYBREAK」でヒットしてたり、忍者の前身の「少年忍者」もジワジワ人気出てきてて、いろいろ忙しかったんだもん。そのあとすぐに、バンドブームの影響で光GENJIの人気に陰りが出てきて、男闘呼組も「アイドル売りは嫌だ!」とか身勝手なこと言い始めるし……。「じゃあSMAPをデビューさせちゃえ!」と思ったら、壊滅的に歌がヘタでサ。笑っちゃったよ。