「ベランダから見る世界 映画の中の団地」トークショーレポート

エロスのアイコン“団地妻”は「普遍的な女性像」――ロマンポルノ映画は女をどう描いたのか

2016/03/06 17:00
danchiduma.jpg
『団地妻 昼下りの情事』の助監督を務めた、映画プロデューサー・中川好久氏(右)

 高度経済成長期の住宅不足解消のため、日本に初めて集合住宅としての団地が誕生したのは1956年。ダイニングキッチンや水洗トイレなど当時としては最先端の設備、掃除機や炊飯器など出始めたばかりの家電を取り入れた暮らしぶりは、瞬く間に庶民のあこがれの的となった。1960年代に入り、日本各地に団地が続々と建設された際には、入居希望の応募が殺到。抽選が行われ、団地は月収下限などの応募資格と高い倍率をくぐりぬけた者だけが入居できる高嶺の花となった。しかしその後、団地人気は、時代のニーズや最新の設備を備えたマンションへと移行。古い設備や時代に合わない間取りの団地に入居したいという若い世代は減少し、建物の老朽化や住民の高齢化によって、時代に取り残される存在になっていった。

 そして現在、1人暮らし、夫婦暮らしからのニーズの高まりによって団地が再び注目され、リノベーションで再活用する動きが活発化している。コミュニティの存在や手頃感のある家賃、住環境の良さなど、若い世代があらためて団地の価値を見直している。

 先日、そうした団地の存在を映画から捉えようと、川崎市アートセンターで特集上映が実施された。2月12日から3日間、日本映画大学の3年生が主体となって企画、運営した特集上映「ベランダから見る世界 映画の中の団地」では、「団地」をテーマにした新旧さまざまな作品が9本上映された。初日には、「団地妻」という名称の初出としても知られ、日活ロマンポルノの第1号である『団地妻 昼下りの情事』(1971年)が上映され、映画プロデューサーの中川好久氏によるトークイベントも開催。同作品の助監督を務め、日活ロマンポルノの黎明期に携わった中川氏が、団地の社会的意味と、当時、団地妻とはいかなる存在であったのか、なぜ団地妻がエロスのアイコンとして確立されていったのかなどを語った。

■“あこがれの団地妻”が抱えていたフラストレーション

 トークイベント冒頭、司会者であり日本映画大学在学生の安藤涼太氏は、今回の特集上映について、日本映画大学、および会場となった川崎市アートセンターがある川崎市新百合ヶ丘近辺にはもともと団地が多かったことも開催理由の1つであることを説明。そして「団地をめぐる映画がこんなにもさまざまに描かれていることを知り、若い世代にとって身近ではなかったが、団地がただの集合住宅ではなく、1つの文化として確立していたことに驚いた」と、団地について新たな発見があった喜びを語った。


 71年に作られた映画『団地妻 昼下りの情事』は、団地に暮らす平凡な主婦が、夫との性生活に不満を抱いたことから、浮気、さらには売春にまで引きずり込まれ、最終的には破滅するという悲劇的なストーリー。「実際に狛江にある団地を、住民の許可を得て撮影した」(中川氏)だけあって、リアルな団地の様相と、そのセンセーショナルな内容によってヒットを記録。その後79年まで続く「団地妻シリーズ」の記念碑的な作品だ。

『団地日和 [DVD]』